チェルフィッチュ『フリータイム』




チェルフィッチュ『フリータイム』



感想っていうのは、良いから悪いから出たり出なかったりするのではなくて、出たり出なかったりする。今日は出ました。終わってからじゃなくて休憩時間に出ました。多少ネタバレあり。でも読んでから観ても差し障りない程度かと思います。(ちなみにノートに書いたのを起こしたから、ちょっとペンの走り方なんかがワープロだと違います。言葉も一部変えました。)




『フリータイム』って、この前みた桜美林の学生がやっていたのと同じテイストっていうか、同じ印象をうけたから、てきとーに、いや、偶然、奇跡的にできたというのとはちがって、ストレートに言えば、やっぱり岡田さんが考えてつくったのだと思う。


だからコードがあって、要素があって、ルールがあって成り立っている。


今よくあるパターンで映画がとくにそうだけど、小説でヒットした作品を映画化するというのがあるけど、その場合のナレーションというかストーリーと舞台、役者との関係とこの『フリータイム』のナレーションと舞台、役者との関係ってちがうというか、真逆。


これ、かなり分かりやすい対比だけど、だって、さんざんファミレスって言っていたのに、「この舞台のセット、もしかしてファミレスかも?」って気づいたのかなりあとだもの。全然つかい方まちがってるし、テーブルと椅子の。間違っているといったら語へいあるかもしれないけど。


と休憩時間にどっと吹きでるように、ふき出すかのように思いました。上演中、ずっとノートをとっていたのだけど、何を書いてる訳じゃなくて、一応文章というか文字書いてるんですけど、だからと言って後から読んで何かを期待している訳でもなく。


みている間、チェルフィッチュの人と同じように、体育すわりしたり、足伸ばしたり、壁にもたれかかったり、さすがに正座したり、でんぐり返しはしなかったけど、いろいろと姿勢をかえている自分にはかなり早い段階で気づいてました。


P.S
こんな感想のかき方、普段はしません。『フリータイム』みたから書きました。だからちゃんと「フリータイムの感想」です。