東京デスロック『CEREMONY』






    




《演劇》東京デスロック




タイトル: 『CEREMONY』



演出: 多田淳之介


■■アーティスト紹介


多田淳之介(演出家)


夏目慎也(俳優)  佐山和泉(俳優)


間野律子(俳優・ダンサー)


田中美希恵(俳優)


伊藤歌織(振付家・ダンサー)


大谷能生(音楽家・批評家)


ENRIC CASTAYA(演出家)



■■日程・場所


[横浜公演]
 2014年7月5日(土)〜7月13日(日)@STスポット


[高知公演]
 2014年7月18日(金)@高知市文化プラザかるぽーと小ホール


[福井公演]
 2014年7月26日(土)・27日(日)@福井市文化会館 ホール舞台上





 《感想文:Biginnigs!》






【演劇】東京デスロック《CEREMONY》(1)

《CEREMONY》@横浜STスポットに参列。入学式、卒業式、成人式、結婚式、人生で遭遇する様々な儀式のことを想う。そして演劇の始まりを想う。




【演劇】東京デスロック《CEREMONY》(2)

 様々な儀式が執り行われたけれども、舞踊の儀がもっとも非日常的かつ魅惑的であった。伊東歌織さんや間野律子さんの踊りはコンテンポラリーダンスのある種の《型》なのかもしれないが、あの身体の使い方はどこから生まれてきたのか?





【演劇】東京デスロック《CEREMONY》(3)

彼女らの踊り(身体)は、目に見えない何かと格闘しているようであり、また目に見えない何かを操っているようであり、まさに《生》の根源を感じた。




【演劇】東京デスロック《CEREMONY》(4)

また伊東さんや間野さんといったダンサーの身体とは別に、佐山和泉さんの身体の使い方も興味深かった。ちゃんと《型》ができていた。デスロックの作品に出続けたらああいう《型》が知らず知らずのうちに身に付いていたのか?



   
       「WALTZ MACBETH」〜ワルツ マクベス



【演劇】東京デスロック《CEREMONY》(5)

ちなみに田中美希恵さんの《型》というか、あの独特の間合いは生まれつきか?




【演劇】東京デスロック《CEREMONY》(6)

さて、食の儀、音楽の儀、舞踊の儀、演劇の儀は上演されたけど、建築の儀がなかったから、建築の始まりについて考える。




【演劇】東京デスロック《CEREMONY》(7)

   Primitive hut




   




【演劇】東京デスロック《CEREMONY》(8)

  Biginnigs!




   




【演劇】東京デスロック《CEREMONY》(9)〜(13)

ルイス・カーンのいう元初(Biginnigs)は、たんなる端緒、発端、出発(start)ではなく、ある事柄の初めであるとともに、それに後続するものを初めから支配しているものである。






ハイデッガーの元初についての以下の限定において解されるものであろう。カーンは1959年のオッテルロー講演でこれとほぼ同内容の発言をしている。






始め(Beginn)は始まるや否やただちに置き去りにされ、出来事が進行するうちに消え去ってしまう。それに対して元初(Anfang)、根源(Ursprung)は出来事が終わるときにようやくその全き姿を現すのである。






多くのことを始める者は殆ど元初に至ることがない。ところで言うまでもなく我々人間には元初から元初する[元初的に行なう]ことは決してない。― それは神の如き者のみ為しうるところである。― それゆえ我々は始めるほかない」






(木下康光他訳『ハイデッガー全集第39巻 ヘルダーリンの讃歌』創文社 p.6.)前田忠直訳『ルイス・カーン建築論集』鹿島出版会 p.23 註




【演劇】東京デスロック《CEREMONY》(14)

   伊勢




【演劇】東京デスロック《CEREMONY》(15)

 日本




   




     《HIROMIX》光

   





【演劇】東京デスロック《CEREMONY》(16終)

 拠点日本




   













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