イキウメ『関数ドミノ』



 《第5版》(5月26日)




 日記(5月26日)




こまばアゴラ劇場二騎の会『一月三日、木村家の人々』を観劇した。多田さんはこういう演出もするのか(現代口語演劇)とびっくりしたけれども、なによりも宮森さつきさんという作家に出会えたのが一番だ。


《介護》という重いテーマを扱った作品だったのだけど、ここのところ重い社会問題をテーマにした作品の観劇が続いていて「演劇でこの手のテーマを扱うのは難しい」と悲観的だったのだけど、「観てよかった」と心から思える傑作だった。


《現代口語演劇》というレールを敷いたのは平田オリザさんで、それを体得している俳優陣がいて(島田曜蔵さんサイコー!!!)、それを理解している演出家がいるからこそ可能になった作品だけれども、この作品は、ここまで執拗に、途中で妥協することなく書き抜いた劇作家の宮森さつきさんに尽きると思う。


会場で販売されていた過去の作品の台本をごっそり大人買いすることもできたのだけど、品がないので、今日の台本だけを買って帰った。彼女の創作のペースに合わせてゆっくり付き合っていきたいと思う。


観劇をオススメします。



《Headline News》



『りたーんず♥フェア』5月末日までですよ!!!!!!



 【Scooooooooop!!!】


古谷利裕さんが書いた『通過(サンプル)論』がすばらしいです!!!!


 【吉報!!!】


劇作家で俳優で演出家で小説家の前田司郎さん(77年生)が、三島由紀夫賞を受賞されました。おめでとうございます。


ヤタッーーーーー! ナイスゴール!!! で、ゴールを決めたのは前田さんですが、絶妙のアシストをしたのは佐々木敦さんじゃないかと思うのですが。ほら、これ(佐々木敦×前田司郎トークその1その2)。ちなみに会場は、えっへん! ジュンク堂ですよ!!


01. デーア・ローアー作・岡田利規演出『タトゥー


02. サンプル『通過』(松井周作・演出)

5月17日『タトゥー』、19日『通過』を観劇して感激。イキウメの前川知大さんが74年生、岡田利規さんが73年生、松井周さんが72年生まれ。ほぼ同い年の若手作家が同じ時期にこれだけレベルの高い公演を各々がしているというのはすごいことだと思う。


『タトゥー』は正直、作品を観ただけで素晴らしいとは絶賛できなかった(私の眼がまだ未熟だということ)。でもアフタートークで劇作家のデーア・ローアーさん、翻訳家の三輪玲子さん、そして演出の岡田利規さんの話しを聴いて、ものすごく勉強になった。(なぜこのような重いテーマの作品をあえて書いたのか。演劇作品としてどういうアプローチを試みたのか。ドイツ語と日本語の性質・構造の違い等)。なるほど。また会場からの質問が的確でレベルが高かった。他の小劇場よりチケット高いし、観劇歴の長いお客さんが多かったのだろう。いい意味でレベルが高い《場》であった。


『通過』。これはホント困ってしまう。構想していた松井周(サンプル)論がほとんど白紙に戻った感じ。『火の顔』『タトゥー』も家庭崩壊、少年による殺人、児童虐待といった社会問題をモチーフに描かれた作品で観劇時に激しい嫌悪感に襲われるのだけど、『通過』はある意味それ以上に受け入れがたい。今日も佐々木敦さんが観劇されていたように、松井周さんに才能を感じ、注目してる人は多い。私も昨年『家族の肖像』を観て以来、松井周論を書きたいと思い、台本も全部読んだし、公演の劇場にも通っている。が、しかし、、、。



松井作品は平田オリザ作品と同様にある社会問題をモチーフに描かれている。しかし向かう方向がヤバイ。平田作品ではあり得ない方向へ行ってしまう。このヤバさを民俗学文化人類学精神分析の知識を援用したら、ある程度説明することはできるけれども、それだけじゃダメ。作品を説明できても、これらの作品が産み出される根本が説明しきれない。だって松井さんは、こんなって言ったら失礼だけど、こんな作品を書いても飄々としているのだから。しかも極めて前向き。取り乱す様子がない。人格が破綻している訳でもない。極めて好青年だ。ここが捉えきれない。何か強靱な作家論・制作論を構築しないと論にならないだろう。時間ください。


《お詫び:松井周論発表時期は白紙に戻します。》



タトゥー』、『通過』どちらも見応えのある傑作です。皆様もぜひご覧下さい!!!



※ 週末に私自身が参加するトークを控えているのと、大きなフェアの準備中なので、今回はこの程度のコメントの留めます。






タイトル: 『関数ドミノ』



作・演出:  前川知大 


 




■■出演


浜田信也


盛 隆二


岩本幸子


緒方健児


森下 創


窪田道聡


安井順平


ともさと 衣


古河耕史


大久保綾乃



■■美術:土岐研一  ■■照明:松本大介  



■■音響:鏑木知宏  ■■音楽:安東克人



■■衣裳:今村あずさ  ■■ヘアメイク:前原大祐



■■演出助手:石内エイコ  ■■舞台監督:谷澤拓巳



■■制作:中島隆裕 吉田直美  ■■大道具製作:C-COM舞台装置



■■演出部:棚瀬 巧  ■■照明操作:和田東史子



■■宣伝美術:末吉 亮  ■■宣伝写真:坂田智彦  ■■舞台写真:田中亜紀




■■日程・会場


2009年5月8日(金)〜24日(日)


赤坂RED/THEATER


■■チケット販売


イキウメWEB



感想文:《演劇の多様性と対立性》








《1. すばらしい日》



ものすごくうれしいことがあったのでまず報告させて頂きます。今日、イキウメの中島隆裕さん(制作)、前川知大さん(作・演出)、浜田信也さん(俳優)にご挨拶することができました。そして、以前書いた拙著「イキウメスタイルの可能性」を読んだとのお言葉を頂き、特に《3.イキウメ組織論》で言及した浜田さんからは、このようなお言葉を頂きました。



ちゃんと観てくれている人がいてうれしかったです。勇気が出ました。

この言葉を聞いて、書いて本当によかったと胸を打ちました。私自身「きっと誰かが読んでくれるだろう」という漠然とした希望の元で書いているので、「いったい誰に向かって書いているんだ?」「誰が読んでいるんだ?」と自らに問いかけて、しばしば凹むものなのです。救われました。ほんの僅かですが力になれました。本当によかったです。ありがとうございます。


ただ1点、何の下調べもせずに書き、浜田信也さんをキャプテンと評したことに誤りはないのですが、イキウメ役者部のレベルの高さを語る上で盛隆二(もり・りゅうじ)さんの存在も欠かせません。訂正すると共にお詫びさせて頂きます。


こんな一件があったのですが、冷静に考えてみてください。これはおかしいです。明らかにレベルの高いことをやっているのに誰も言わない。浜田さんにも言ったんです。「素人からすれば1時間30分のせりふを完璧に覚えるだけでも凄いんです。しかもプロの役者が勝負しているのはそこではない。その+αの部分です。特にイキウメはレベルが高いですから自信持っていいですよ。『俺たちは凄いことをやっているんだ!』って胸を張っていいですよ」と伝えたら、浜田さんはキョトンとしてました。


そして中島隆裕さん(制作)からは物凄くこわいことを言われました。


同年代の劇団について意識的に書いているでしょ。それはとても重要なことなので続けてください。自分は48歳になりますが、二十歳くらいから出発して、もう同じくらいの歳でこういうフィールドで演劇を続けている人はほとんどいなくなりました。阪根さんは何歳ですか?33歳ですか。今の形はこれからどんどん変わっていったり、消えていったりしますから。書く方は続けてください。


凍りました。小劇場をフィールドにしている劇団の運営が難しいことは分かっていましたが、改めて現実を知りました。平田オリザさんの活動等(『芸術立国論』参照)で以前に比べたら大分改善されたと思うのですが、それでも僕が思っている以上に厳しいようです。例えば、「イキウメ論」の冒頭でも紹介した多田淳之介さん(東京デスロック)の活動に共感してエールを送りました。東京で公演を打たず地方・海外公演のみで劇団を運営していくという決断だったのですが、東京デスロックのレベルの高さ、またお客さんの反応を見ていたら五分五分で行けると思いました。が、これはもう無謀です。それぐらい厳しい決断です。本当になんとかならないものだろうか。根本的に何か新たなものを築いていかねばならないでしょう。


当面は、経済的な問題が大きいでしょうが、それについては僕自身も「おまえどうやって食っていくんだ?」と問われたら答えられない立場なので何ともできません。ただ、せめて現場の人びとの気持ちが切れないように、その点だけは見守り続けて力になりたいと思います。


あ、そうそう。浜田さんに「この前、ハイバイの岩井さんにも挨拶したんです」と伝えたら、「えっ、本当ですか。大丈夫でした? おちょくられたりしませんでした?(笑)」って言われました。闇の世界で何をやってるんだ岩井さん。男岩井改め、ダーティー岩井、おそるべし。



《2. 関数ドミノ》



『表と裏と、その向こう』(2008.7.2)、『煙の先』(2008.11.29),『短編集(図書館的人生vo1.1、2から)』(2009.1.24)を経て、そして今日『関数ドミノ』を観劇。こうやってイキウメを観てくると「えっ!こんなことやってくるとは!」なんてことはない。例えば野球のピッチャーを見つづけているように「今日は桑田、上から投げるかな?横から投げるかな?それとも下から投げるかな?」とか思って「えっ!左で投げんの!」なんてことはない。いつも通り、上から投げる。でも、そのなかでも、「今日は勝てるかな? ストレート走っているかな? 変化球決まるかな?」とじっと見守る。今日の観劇はちょうどそんな感じだった。


『関数ドミノ』で扱われているのは『煙の先』のテーマと通じている。ただし『煙の先』はケーススタディであったのに対して『関数ドミノ』はフルキャストの大作なので、明確な世界観が提示され、答えとも言える結末もある。それだけに見応えがある。


内容を事細かに述べることは避けるが、扱われているのは「生きるとは何か」について。そんな堅苦しいレベルの問題ではなく、おそらく誰もが自らに問うているような疑問が、目に見えるようにクリアに展開される。「こういう奴いるいる」と思って、「こいつ頭おかしい」と確信して、「これって安物の宗教じゃん」ってきっぱり突き放そうとすると、「ちょっと待てよ。これってオレのことかも」と。すごくキレ味のよい作品で終わり方もキレイなのだけど、色んなことが頭のなかを駆け巡ります。



《3. 前川知大と前田司郎と僕》



さて。『関数ドミノ』は演劇を観るのが初めての人でも十分楽しめますが、もし五反田団『すてるたび』(前田司郎作・演出)を観劇した人がいれば、ぜひ見てください。前田さんは作品によって色々変わるので一概に言えませんが、前川知大『関数ドミノ』と前田司郎『すてるたび』は戯曲の作り方、舞台の使い方、役者の演じ方、全てにおいて対立的であり、演劇の多様性を存分に感じることができます。


この点について私事ですが付け加えると、僕はこれまで古谷利裕さん(画家)や保坂和志さん(小説家)について言及してきましたし、両者から多大なる影響を受けています。そして、その背後に誰を見ているかと言えば、小島信夫先生(小説家)です。


小島先生の作品は究極の《文学》と言えるでしょう。私がちゃんと読んだ作品で言えば『残光』がそれです。現実と小説の世界との境界がない。でっち上げた物語もない。うそ偽りがない。書くという行為しかない。しかも後戻りがない。「いま、ここ」しかない。


このように小島先生の存在を認めていますが、僕が書いている文章はどうでしょうか。「イキウメ論」でも「東京デスロック論」でも構いません。読んで頂けば分かりますが、全然違います。小説だから、評論だからという違いではなく、スタンスがもう180°違います。


なぜかと言えば、僕自身の備えている能力の性質と相談した上で、この書き方で文筆活動を始めると決めたからです(僕が50歳ぐらいになったとき、小島先生のような書き方になっているかもしれないし、今のままかもしれない。それは分からない)。誤解を恐れずに言えば、僕の書き方は「構成8割その他2割」です。構成が通れば、その他は少々問題があっても脱稿します。逆に言えば、構成を通すまでに何度も書き直しています。「イキウメ論」はちゃんと記録してませんが「東京デスロック論」は脱稿した原稿が第11稿です。



  さきほど戯曲を書くときには最初に大まかなプロットを作るとおっしゃいましたが、どの程度のプロットなのですか?


前川 完全にラストまで何が起きるかを決め込んだ、結構ボリュームのあるプロットです。普通に横書きで、箱書きをしていく感じですね。それでだいたい何時間ぐらいの芝居かも計算できる。もうそれができたらあとは台詞にするだけ。僕は最後に台詞を書きます。


  そういう創作スタイルは、これまでの試行錯誤から生まれたわけですね。


前川 そうです。でも最初はそんなにがっちりと設計図は書けなかった。でもラストがしっかり見えているということが大事で、それが決まらないまま書き始めてしまうと、どうしても行き先が変わったりする。まあ変わったほうがいい場合もあるかもしれませんが、ただ、なるべく書くべきことが全部決まっている段階までいかないと、経験上、無駄な台詞を書いてしまうこともあるので。台詞はなるべく後々語られることのイメージとのつながりを考えて書いたほうが、密度も濃くなる。毎回、変な設定というか、SFっぽい設定をネタとして一個考えるのが一番最初です。


  たとえばオムニバス形式の『図書館的人生vol.2 盾と矛』の「帝王」の場合、「感情表現を顔ではなく、言葉でしか表現できない人」がいるというような設定ですね。


前川 感情表現が全然顔に出ない人がいるということを考えたときに、じゃあ何ができるかなと。そこでその設定で思考実験をして、こんなトラブルが起きるとか、登場人物からどんな感情を引き出せるかとか、どんな事件があってどんなかたちで解決できるかということをリストアップしていく。それによって登場人物の職業はこれにしようとか、奥さんを作ろうとか決めていって、そこから肉付けしていく。だから、そこで何が語れるかといったテーマ的なものを先に決めるよりは、今回はこの話で、こんなことを語れるなって思ったときに、あとはもう物語をどう転がしていくか詰めていく。自分の中で興味があるテーマはいろいろあると思うので、結局そこにつながっていくのかなと。


(『STP 05』工作舎 pp.157-158.)

これは前川知大さんのスタンスですが、実は僕も同じ書き方をしています。これは保坂和志先生にはものすごく怒られますが仕方ない。僕自身の持ち得ている力がここにあるから。


これは建築をやっていたときからそうです。例えば、建築家の安藤忠雄さんなんかはインスピレーション一発のスケッチに全てを賭けています。これは僕にはできない。あるいはディーテーラーと言われる人がいて原寸図面をバンバン描いてデザインを起こしていく人がいます。僕が師事した渡辺明先生や、そこのチーフクラスの人がそうでした。これも僕にはできない。


では僕がやっていたことは何かといえば、プロジェクトマネージャーのような役割です。ボスがやりたい放題やる。オーナーが色々な要求を突きつけてくる。現場ができないと言い張ってくる。この三者をやり繰りしながら、筋道を立てて竣工まで導いてゆくのが僕の仕事でした。これを執筆で言えば「構成」ということになります。


そこで文章ということで僕が一番意識しているのは誰かと言えば、イキウメの前川知大さんなのです。僕は評論で、前川さんは戯曲・小説ですが、それは問題ではありません。あくまでも描き方ですから。



ものすごく複雑で、多様で対立するような事がらを明快に通す。

このような行為には、確かに問題も多々あります。かなり暴力的です。けれども考えてみてください。デタラメは別として、これは決して誰にでもできることではないのです。前川知大さんの作品から受ける際立った「明快さ」を他の劇作家から感じることはありません。これは前川さんにしかできない。そして恐縮ですが、同じ性質の物書きとして、僕もこの方向で行けるところまで行ってみようと思います。


ですから僕にとっては、前川知大さんは執筆活動の正面教師です。僕の場合はものすごく近い存在として前川作品を見つづけます。そして、皆様も小島信夫さんや保坂和志さん、あるいは前田司郎さんと比べつつ、前川知大作品、《イキウメ》を観劇してみてください。きっと何十倍も楽しめます。まずは『関数ドミノ』からどうぞ!!!



※ photo by montrez moi les photos




散歩する侵略者 (ダヴィンチブックス)

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残光

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カンバセイション・ピース (新潮文庫)

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誰かが手を、握っているような気がしてならない

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古谷利裕「plants」2005


芸術立国論 (集英社新書)

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SPT 05 (SetagayaPublicTheatre)

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 《りたーんずフェア》やってます。


阪根タイガース


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