二騎の会『F』




  


《演劇》二騎の会




タイトル: 



作: 宮森さつき


演出:木崎友紀子

■■出演


端田新菜


多田淳之介



■■スタッフ


照明:岩城保


舞台美術アドバイザー:鈴木健


演出助手:新井ひかる


宣伝美術:京


制作:服部悦子 木元太郎


芸術監督:平田オリザ


協力:舞台美術研究工房 六尺堂



■■日程・場所


2010年1月29日(金)〜 2月7日(日)@こまばアゴラ劇場






 《感想文:F》




 



『F』は、端田新菜の名優っぷり、俳優多田淳之介の勇姿(多田さんはふだん演出をやっているので表舞台には出てきません)、逆に演出家木崎友紀子の腕力(木崎さんはふだんは青年団の作品に出演している俳優です)と見どころたくさんですが、僕がなぜ観に行ったのかを一言で言えば、宮森さつき戯曲を観たかった、んっ?、戯曲は聴くって言うのかな?、むむ? 宮森さつき戯曲を観て聴きたかったからです。


宮森作品は、昨年の『一月三日、木村家の人々』に続き2回目の観劇。前回の『木村家』は認知症の父親の介護に疲れ果てた娘が父親と心中を図ろうとして、、、というありがちな話なのだけど、この手の話はいかようにでもオチをつけられてしまうというか、妥協できてしまうのだけど、観劇中ここで着地するのかな? NO! ここか? NO! ここか? NO! NO! そろそろだろ? NO! NO! NO! という感じで、戯曲が粘り強く書き抜かれていて、僕は戯曲も小説も書かないけど文章を書いているから分かるのだけど、宮森さんがとことん考え抜く誠実な書き手だと分かったので、すっかりファンになってしまったのです。


そして、今回の『F』を観劇して宮森さんへの信頼度がアップしたというか、よく練られた戯曲だと感心しました。『木村家』よりも抽象度が高く、全く関係ない作品かと一見思いましたが、問題意識はちゃんと通底していました。


『F』はタイトルの「F」というのがやはりキーワードになっているのだけど、「F」とは何かは決して明かされないし、明らかにならない。多田さんは一応「Fiction」と理解していると言ってましたけど、他にも解釈が色々あって「Fusion」かもしれないし、「Form」かも「Function」かもしれない。ぶっちゃけ、この「F」は、茂木健一郎さんがよく言っている、というか茂木さんが発明した訳じゃないけど、「クオリア」みたいなもので、「F=なんだかよく分からないもの」なのだと思う。そして「なんだかよく分からない者=FUJIWARA」ということで、なるほど!藤原ちからさんが召集されたのも納得(笑)。


それで今日のアフタートークで多田さんから演劇教育(プロの俳優を養成するための教育)の話が出て、スタニスラフスキー・システムぐらいはみんな知っておくべきなのか? フランスだったら知っていて当然、日本ではそうでもない、韓国では、、、という感じの話があったのですが、当の俳優端田さんはというと「???」という感じでうけました(笑)。


端田さんはやっぱりうまいし、青年団の俳優っていうのはもっと理詰めでやってるのかと思いきや、、、ホント天才的な勘というか本能でやっているんですよ(教育できないじゃん!!! 笑)。


今回の『F』は、人間(端田)とロボット(多田)との間の齟齬が丹念に描かれていて例えば「桜がきれい」というただそれだけのことが共有できないんですね。苦し紛れに「わーい!わーい!」とか言い合ったりして(笑)。でも、これは「人間とロボット」だから発生する問題ではなくて、そもそも人間自身が抱えている本質的な問題ですし、これを俳優が演じるという意味では「現代口語演劇・平田オリザメソッド」もカバーしきれない盲点を突いている(そんなこと考えたら演技なんて成立しないじゃん!)という訳です(自虐的青年団青年団脱構築?)。


そんな訳で改めて宮森さつきさんの戯曲に興味を持ちました。批評してみたいと思いました。僕の場合、漱石の「F+f」(この場合はF(f)=Focus)から、宮森作品にアプローチしようと企んでいます。


 文 学(詩・小説・戯曲) = F+ f



凡そ文学的内容の形式は(F+f)なることを要す。Fは焦点的印象又は観念を意味し、fはこれに附着する情緒を意味す。されば上述の公式は印象又は観念の二方面即ち認識的要素(F)と情緒的要素(f)との結合を示したるものと云ひ得べし。吾人が日常経験する印象及び観念はこれを大別して三種となすべし。


(一)Fありてfなき場合即ち知的要素を存し情的要素を欠くもの、例へば吾人が有する三角形の観念の如く、それに伴なふ情緒さらにあることなきもの。


(二)Fに伴なうてfを生ずる場合、例へば花、星等の観念に於けるが如きもの。


(三)fのみ存在して、それに相応すべきFを認め得ざる場合、所謂 " fear of everything and fear of nothing " の如きもの。即ち何等の理由なくして感ずる恐怖など、みなこれに属すべきものなり。(以下省略)


以上三種のうち、文学的内容たり得べきは(二)にして、即ち(F+f)の形式を具ふるものとす。


夏目漱石『文学論』)




文学論〈上〉 (岩波文庫)

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文学論〈下〉 (岩波文庫)

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