『ON-MYAKU 2016』






   




《総合芸術》ON-MYAKU 2016- see/do/be tone -





白井剛(演出構成・振付・ダンス)



堀井哲史(映像演出)



中川賢一(音楽構成・ピアノ)


■■スタッフ


舞台監督:大久保歩(クワット)
照明:吉本有輝子(真昼)
音響:石丸耕一(東京芸術劇場
ハードウェア:原田克彦(Rhizomatiks Research)
衣装:るう(rocca works)
振付アシスタント:平井優子 鈴木美奈子
宣伝美術:藤井かおり(Rhizomatiks Design)
コーディネート:齋藤あきこ
記録写真:bozzo
記録映像:水内宏之


■■日程・会場


2016年1月30日(土)〜1月31日(日)@ 東京文化会館小ホール






  感想文:現代音楽に挑む!



現代音楽を分かっているか否かと問われれば、否と答えるけれども聴くのは嫌いではないし、苦痛でもない。むしろオーケストラによるクラシック音楽の演奏の方がしばしば苦痛に感じることがある。音が多過ぎて体調が悪い時には食傷気味となって拒絶してしまう。対して現代音楽は眼を閉じて頭を空っぽにしてぼーっと聴いていればよいので特に問題はない。


ただ本作品は少々戸惑った。音楽だけではなく、ダンスと映像が同時に繰り広げられるので目を閉じる訳にはいかない。五感をフルに働かせて受容せねばならないので序盤はなかなか慣れず少々疲れた。


現代音楽に関して言えば、やはり目を閉じて聴いていたいという気持ちが強い。視覚を機能させないという訳ではなく、耳から入った音のイメージを拡げてゆく営みを脳のなかで行うからだ。現代音楽は単調だけれども理論がしっかりしているからか、イメージの喚起力は強い。目を閉じていても脳のなかで映像が映し出されるし、体全体が反応する。


そういった鑑賞スタイルを崩されることに最初は抵抗があった。しかし、じぶんのイメージ力はたかだか知れている。音を聴いてイメージは湧くけれども、大した絵にはならないし、体だって想定内の反応しかしない。



『ON-MYAKU 2016』ではまず白井剛のダンスに惹かれた。私じしんの持ちうる身体イメージを凌駕する身体が目の前で繰り広げられるからだ。そうやって白井の身体を受け入れられるようになると、堀井哲史の映像も受け入れられるようになってくる。堀井の映像表現、動きを伴った幾何学模様は現代音楽との相性がよく、イメージがどんどん喚起されていった。



今回は様々な作曲家の曲が演奏されたが、音と映像がもっともシンクロしたのが、やはりクセナキス





クセナキス音楽理論、建築理論と堀井哲史のプログラミング理論のシンタックスに共通性があるからだろうか? フラクタルというのか、両者の規則性を持ちつつ拡張してゆくイメージがものすごくピタッときた。



ただ、ここはもっと開拓する余地があると思う。クセナキスが活動していた頃は表現のツールがまだ発達していなかったからできなかったが、現在のツールを使えばできることが多々あると思う。そのあたりを堀井哲史にはもっともっと突っ込んで表現して欲しい。



あと惜しかったのがオリヴィエ・メシアン。ピアニストの中川賢一が語ってくれたように、メシアンは音楽に対する洞察が深い。鳥のさえずりから音をつくったり、音から色や模様が見える等、独自の音楽理論を形成している。





そのメシアンに対して、ピアニストの脳波をヴィジュアライズするという試みがなされた。このアプローチはメシアンの可能性をさらに拡張する画期的な試みだと思う。ただ残念だったのは、初めは「おおっ!」と思ったのだが、思ったほど驚くようなイメージが抽出されなかったこと。この点についても音楽理論に精通している中川とプログラム理論に精通している堀井とでさらなる探求を続けて欲しい。



最後に白井剛のダンスについて。ダンサーの身体は我々の想像をはるかに超えるので全てを受け入れてしまうのだが、今回の作品において、白井がどのようなアプローチを取ったのかが興味深い。


true / 本当のこと


以前、白井がダンサーとして参加した総合芸術作品『true / 本当のこと』においては、身体(ダンス)、音、映像が同時に立ち上げられたので、鑑賞していても、どこかに重点を置くということはしなかった。つまりダンスだけを観ていても、音だけを聴いていても、映像だけを観ていても不完全であるため、自然と全てを感じ取っていた。



しかし、今回は音楽が主となっている。主となるという言い方は語弊があるかもしれないが、音楽が音楽のみで完成している。つまり目を閉じてダンスを観なくても、映像を観なくても鑑賞が成立してしまう。そのような状況において白井の身体表現はどのように形成されたのか? 完成された音楽をインプットして、身体表現としてアウトプットしたのか? それともインプット→アウトプットといったプロセスとは異なる何かしらの身体表現の生成が為されていたのか? 音楽に関する解釈や分析はかなり深いところまでいっていたように思うが、身体の表出のあり方にもっと探求の余地があるように思えた。今後も引き続き、白井と中川とのコラボレーションを期待したい。



さてさて。本作品については、《音楽・ダンス・映像》という複数メディアによる表現、《総合芸術》を体感できただけで十分に満足であった。こういう滅多に味わえない試みは、芸術分野ではない者に対しても多大なる刺激を与えてくれる。スポーツ業界に身を置く私も、「なるほど!こんなことができるのか!」といくつかアイデアが浮かんだ。



また白井剛と堀井哲史は以前にも共同で作品を手掛けていた。その際、音については音響という位置づけで音楽表現ではなかった。しかし、本作品では現代音楽にアクセスした。これは本当に興味深い。なぜなら現代音楽は理論構築が高いレベルで為されているからだ。対して、堀井が手掛けている映像表現、プログラミング理論はまだまだこれからなので、理論レベルの高い現代音楽に挑戦するというのは面白い。また白井のダンスに関しては、理論に回収されない境地をいかに切り開いてゆくかという点に面白さがあるので、ダンスという観点からも現代音楽とのマッチアップは非常に興味深い。



刺激的な休日であった。



ありがとうございました。








阪根タイガース



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