二兎社公演『かたりの椅子』




 


 二兎社公演




 かたりの椅子



 作・演出:永井愛


■■ 出演


竹下景子      六枝りんこ
山口馬木也     入川クニヒト
銀粉蝶       雨田久里
大沢健       目高陽倫
内田慈       北条美月
吉田ウーロン太(フラミンゴ)   田中栄太
浦佐知子     戸井ひずる
でんでん      沼瀬圭作
花王おさむ     九ヶ谷章吾



■■ スタッフ


美術:大田創  照明:中川隆一  音響:市来邦比古
衣裳:竹原典子  音楽:近藤達郎  ヘアメイク:清水美穂
舞台監督:澁谷壽久 演出助手:鈴木修
大道具:C−COM 小道具:高津装飾美術株式会社
照明操作:吉田裕美/横田幸子/安田正彦/林美保
音響操作:徳久礼子 ステージオフィス
舞台監督助手:竹内章子/加瀬貴広/尾花真/今村智宏
衣裳助手:矢作多真美 衣裳製作:砂田悠香
コサージュ製作:鈴木真育 プロンプター:日沖和嘉子
運送:マイド 宣伝美術:マッチアンドカンパニー
宣伝写真:ノニータ 舞台写真:林渓泉 ウェブデザイン:秦明俊
学芸:松井憲太郎
票券:松本恵美子 票券助手:坂田厚子
製作助手:松村安奈 製作:本郷みつ子/安藤ゆか



■■ 会場・日程


3月 6日(土)       埼玉◎キラリ☆ふじみ
  11日(木)       新潟◎りゅーとぴあ
  13日(土)       福島◎いわきアリオス
  19日(金)・20日(土) 神奈川◎杜のホールはしもと
  21日(日)・22日(祝) 長野◎まつもと市民芸術館
  24日(水)       東京◎亀戸・カメリアホール
  27日(土)       大阪◎梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ
  28日(日)       滋賀◎びわ湖ホール
4月2日(金)ー18日(日) 東京◎世田谷パブリックシアター



■■ チケット


こちら





 《感想文:芸術的なるものの真価》




 



素晴らしい。


永井愛さんには本当に頭が下がます。


私もなんらかの形で援護射撃をします。



端的に言うと、『かたりの椅子』は「新国立劇場の芸術監督選任問題」をモチーフにした作品である。創作でこれ程まで露骨に現実問題を扱うとまず間違いなく失敗する。たいてい感情の高ぶりを抑えられず極論や理想論に走ってしまったり、観衆の情に訴えかけるいやらしい作品になってしまう。


しかし『かたりの椅子』は奇跡的に芸術作品として成立している。現実問題と正面から向き合い、また物語、筋書きも明快に示し、それでいてカフカドストエフスキーといった文学作品にも通用する《文学的なるもの》がしっかり宿っている。


『かたりの椅子』は、基本的な構図としては《官僚的なるもの》と《芸術的なるもの》とが対立して、《芸術的なるもの》が《官僚的なるもの》に締め出されるという筋書きなのだが、これが《悪》と《善》というように簡単には区別できない。《官僚的なるもの》を敵対視してただ倒せばよいという問題ではないし、すっきり割り切れない、誰もが他人事とは言えない根深い問題を提示している。だから各自が問題を持ち帰ってずっっと考え続けなければならない。


例えば私が観ていてもっとも強く感じたのは、《芸術的なるもの》の象徴的な存在である入川クニヒトという人物に対するもどかしさだった。物事にまっすぐに取り組む様子は感じられたのだけど、彼からは説得力が全く感じられなかったのだ。確かに《芸術》というものは説明できないのだと言ってしまえばそれまでだし、またこれは舞台上での話であり、芸術家の《作品》に相当するものが提示されていなかったから説得力がないのだとも言える。しかし、それを差し引いても《芸術的なるもの》を担う側の発言と行動の頼りなさを痛感した。なんとかせねばならない。


ともかく、『かたりの椅子』を観劇して、永井愛氏の演劇人としての意地を強く感じた。この作品をカフカドストエフスキーと同様に共通言語として多くの人と語り合いたい。


公演はこれからも続くので皆様ぜひ劇場に足を運んでください。





 《出演者の声》



※ 公演パンフレット(有料)から出演者のコメントを一部引用します。本当はお金を払って買って読んでもらいたいのですが、劇場へ出向くきっかけになればとの願いをこめて掲載します。



  竹下景子


永井 竹下さんはこうして女優業もしながら、社会活動にも参加されていて、お子さんをふたり育てられて。しかもむやみに尖ることなく、大らかな視野と知性を持っておられる。素敵だなあ、といつも憧れるんですが。


竹下 とんでもない! いつも、いっぱいいっぱいですよ。私は舞台を観るのは本当に好きなんですが、「観る」のと「やる」のとでは、問われる力量がこうも違うのかと、ごく当たり前のことを今ごろようやく実感しているくらいですから(笑)。今回描かれているのも、いつもはニュースで他人事として見るようなことばかり。でもいざそういう役柄を演じるとなると、視点がどこか主体的になるんですね。「自分なら何を感じてどう行動するか」を、常に問われている感じがします。


永井 本読み稽古をラストシーンまで通したあと、ふと振り返ったら竹下さんが、目の回りを真っ赤にして泣いておられましたよね。


竹下 ラストが本当にショックだったんです。りんこさんがこれからどう生きていくのか、それを考えたらたまらなくなってしまって。自分が自分であり続けるために大切なものを、果たして「生活」を犠牲にしてまでも守り抜いていけるのかどうか。ここまでの事態に直面せずに生きていられる人間の方が、きっと多いと思うんです。でもりんこさんは、これからひとりで考え続けていくわけでしょう。


永井 そこまで読み込んでいただけるとは、作家として本当に幸せです。私が込めた思いの全てを、胸一杯に吸い込んでくださった。


竹下 これは忘れもしないんですけれど、ある舞台に出演したときに、それまでお芝居を観たことがなかった知人が言ったんです。「・・・でもこれ、嘘なんだよね?」って。ドキッとしました。たしかに、芝居は嘘なんですよ。嘘なんだけど、でも、真実なんです。


永井 そうですね。「嘘」を楽しむタイプのお芝居もあるけど、私は「嘘を通して見えてくる真実」を描いていたいです。


竹下 そこにこそ、人は感動をするわけだし、深く心に刻まれるものがあるのだと、私も信じているんですよ。



  山口馬木也


永井 今回も、山口さんから受けた刺激がたくさんありますよ。すべてを直に受け止めて、まっすぐに芝居に向き合うその姿に触発されて「入川」の人物像が見えてきた。どんなにピュアなことを語っても、山口さんなら胡散臭くならない。まじめはまじめでも「生産的なまじめ」でいらっしゃるでしょう。「まじめにやっていることを見せるためのまじめ」っていうのはよくあるけど、山口さんのは、それとは違う。まじめの本質、みたいなことを考えさせられます。普段はどうだかわかりませんが。


山口 ええ、まあ、はい(笑)。でも、本によるところも大きいんですよ。具体的にこういう体験をしたわけではないけど、よくわかるんです。お偉い方たち特有の、静かなる圧、みたいなものが。なぜこんなことができるんだろう、いったい何が彼らの幸せなんだろう? と不思議でしょうがない。


永井 本人たちも、わからないのかもしれませんね。わからないまま、思考停止してしまっているような。何が真実であり、何が良いことなのか、ということへの興味がない。


山口 そうなってしまうのは嫌なので、僕は最近、自分のことをまず信じてみることにしています。これが欲しい、とか、好きだ、とかいう直感を、人とは多少違っても、ひとまず信じて認めてやる。



  《大沢健》


大沢 官僚、と名の付く役はドラマ『トップセールス』(08年NHK)でも演じたんですが、僕にはどうも馴染みづらい二文字で。でも演じてみて思ったのは、言動の是非はどうあれ「この道を選んで生きてきたのだ」という、彼らなりの道理があるのだということ。悪事を引き起こそうとしているわけでは全くないんですよね。


永井 そうね。むしろトラブルを避けるべく、よかれと思って、当然のことを行っている。だから私も今回は、善悪の構図のみで物事を描くことだけは避けたいと思っているんです。


大沢 僕が住んでいる街の近辺が、駅の改修工事で大きく区画整理されることになって。そのための住民説明会があるというので、行ってみたんですね。そしたら、まさに目高みたいな「ナンバーツー」がいたんです。人当たりがよくて、頭の回転も速くて、一気に押し寄せる住民の質問に「今までのご質問を整理させていただきますと、○○○と△△△と♢♢♢について、以上3点ということでよろしいですね?」って、交通整理が実に見事で。


永井 そうやって整理することで、何かが微妙に切り捨てられていくのよね(笑)。



  《内田慈》


永井 五感の良さや皮膚感の鋭さ、みたいなものをとても感じたんです。それに、私の周囲にはあまりいないタイプなのね(笑)。今回演じていただく「美月」という役は、普通にまじめな女の子として演じることもできるだろうけど、内田さんにやっていただいたら何らかの「ぎくしゃく感」が出るような気がして。役柄にぴったりと寄り添いすぎない、内田さん独特の存在感が、この人物像を深めてくれるだろうと。物事に耽溺しきらずに、いろんな感情を意識下につめこんでいる、現代の女性像をリアルに体現してくれそう。


内田 よくグルメ番組なんかを見ていると、何かと「女性にやさしい」っていう言葉が出てきますよね。あと「カレーの王子様」すら「辛くて食べられないの〜」とか言う子が意外と普通にいたりして(笑)。そういう類の「女の子っぽさ」に、私はすごく違和感を覚えるんです。かといって、オヤジ化したいのとも違う。じゃあどんな立ち位置でいたらいいのか、というようなことを最近考えていて。


永井 私も、白と黒の間でいつも揺れている質の人間なんですね。確信的に正義を振りかざすほどの自身はないけれど、でも「それは違う」ってことだけは、はっきりわかる。


内田 そうなんですよね。白とも黒ともつかないグレーの部分で手探りしつつも、自分なりの筋は通したい。だからこの物語のラストの鮮やかなグレーに、共感するところがあるんです。人が集まれば社会ができるし、社会ができればこういうことって絶対起こる。誰も望んでなどいないのに、どうしてこんな哀しい事態になっちゃうんだろう? と。でもこの作品は、その答えを放棄するような終わり方では決してない。そんなラストに説得力を持たせるためにも、台本上には描かれていない登場人物の側面を、確かめながら演じなければと強く思っています。



  《でんでん》


永井 沼瀬、という役は、演じていてどうですか?


でんでん こんなふうにはなりたくないな、と思う反面、みんなの代表として伝えたい思いもありますね。世間の中間管理職は、みんなこんなにつらい思いをしてるんだぞ。家族の目にはふれないところで、こんなふうにもがいているんだぞ! と。


永井 沼瀬の悲哀というのは、ありがちな「ダメ役人」という立場を超えた、人類的な悲劇でさえあると思うんです。個人の力ではどうにもならない悲劇。あらゆる組織に、こういう立場の人はいると思う。


でんでん そうなんですよね。僕らのような職業にだって、ありますよ。演劇でも映画でもドラマでも。


永井 逃れる方法は?


でんでん 何だろうなあ・・・それをモットーみたいにして掲げてしまうと、むしろその言葉に呪縛されてしまうんじゃないかと思いますね。あまり多くを語らずに、ただ一心に芝居を繰り返す。僕はたぶん、そういうやり方しかできないような気がします。



  花王おさむ


花王 永井さんの本は、人の生理に合っているんですよ。せりふをただ思いついた順に並べてあるのではなく、相手のこんな言葉を受けたらこう返したくなるだろうな、という筋道がすんなり腑に落ちる。隅々まで考え抜かれた本なのだなあと感心するんです。


永井 台本を書くときというのは、当然ながら物語をまず組み立てるわけです。それが最後まで通ったところで、次は人物描写に入り込んでいく。・・・となったときに、矛盾が生じて苦しむことが、多々あるんです。この人は物語上、ここで反対に転じなきゃいけないのに、心情的にはそんなこと言える状況ではまったくない・・・! とか。


花王 そんなふうに熟考していただいたおかげで、とても気持ちよく演じさせていただいてます(笑)。もちろん「九ヶ谷」は身近にいてほしいタイプでは決してないですが(笑)、でもそんな人物の中にも正当性はあるのだし、それを思い切り表現できるのが、この仕事の醍醐味のように思うんです。


永井 そうなんですよね。こういう存在がいてくれるおかげで、芝居は俄然おもしろくなる。


花王 そうそう。こんなワガママ放題、日常生活ではなかなかできませんから。


永井 現実の実態をただ憎むのみ、というのはつまらないと私は思うんです。「こいつ、とんでもないなあー」と呆れながらも、そのとんでもなさの中に何かひとつ、おもしろみや真実の片鱗を感じることが、演劇の持つ力だと思う。


花王 僕は普段、テレビや新聞を見ながら文句ばっかり言ってるんです。「テレビぐらい楽しく見なさいよ」ってよく叱られるんですけど。でも60代に入って、わかってきた。人の本質なんてものは、どんなに文句を言われても、そう変わりはしないんだなあと。世界的なスーパースターでも、その人生にはどこかほころびが生じていたりするし、正論を振りかざす政治家にも、何らかの不祥事がついて回る。いちいち目くじらを立てていたら、人間ってものに失望するばかりでしょう。じゃあ、自分はどう生きていけばいいのか。・・・僕は勿論聖人君子じゃないですから、今なお、それが課題です。



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