ナイロン100℃『百年の秘密』




   


   ナイロン100℃ 38th session



  百年の秘密



作・演出:  ケラリーノ・サンドロヴィッチ



出演: 
犬山イヌコ 峯村リエ


みのすけ 大倉孝二 


松永玲子  村岡希美 長田奈麻 


廣川三憲


安澤千草 藤田秀世


水野小論 猪俣三四郎 


小園茉奈 木乃江祐希 伊与勢我無


萩原聖人 


近藤フク 田島ゆみか 


山西 惇


期間:東京公演  2012年4月22日〜5月20日
   大阪公演  2012年5月26日
   横浜公園  2012年5月29日
   北九州公演 2012年6月2,3日
   新潟公演  2012年6月9,10日



ナイロン100℃『百年の秘密』を2012年5月19日に観劇して、感激して、当日、@下北沢は混んでてカフェで座れなかったから、@下高井戸でツイート連投いきまーす! って書いた感想です。チェケラ☆ 





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《感想》「影響の不安」の呪縛を解く




《百年の秘密・1》

松永玲子さんのファンなのだけど.....



今日!



残念ながらというか、案の定というか、



僕に熱烈にせまってきたのは松永さ〜ん!



ではなく



大倉孝二だった(汗)



「もう!この身の丈知らず!」(笑)


《百年の秘密・2》

それにしても、3時間を超える超大作は圧巻でした。チケットが高いとは決して思わなかった。むしろ、こうやって沢山のお客さんたちとお金を出し合ったからこそ、これだけの大作を観ることができたんだ! という喜び、実感が湧いてきた☆


《百年の秘密・3》

例えば『風の谷のナウシカ』には《劇場版》と《マンガ版》があって、《劇場版》は劇場やTVでやってもいいけど、《マンガ版》はやったらダメという暗黙の了解がある。その《マンガ版》を劇場でやってしまうのがケラさんであり、ナイロン100℃なのだと思う。


《百年の秘密・4》

風の谷のナウシカ』の《マンガ版》を読んで衝撃的だったのは、《劇場版》ではあれほど感動的だったエンディングがほんの1シーンとしてしか描かれていないことだ。


《百年の秘密・5》

ナイロン100℃『百年の秘密』と『風の谷のナウシカ』は全く関係ない。けれども『百年の秘密』という大作を考える上で、『風の谷のナウシカ』の《劇場版》と《マンガ版》との違いを考えることが、非常に重要になってくる。


《百年の秘密・6》

ナイロン100℃の作品には、苦悩する作家がよく出てくる。劇中劇という構造が重要になってくることもあるけれども、端的に「苦悩している」ということが重要である。



誰が?
 

ケラリーノ・サンドロヴィッチが!




《百年の秘密・7》

ナイロン100℃の作品を観て感心するのは毎回手を抜いてないということ。いつも細部まできっちり創られている。これは演劇でなくとも、何かしら仕事を持っている人ならば、いかに困難か察しがつくだろう。これはすごいと言うより、ケラさんの変質的なるもの、狂気だと言ってよい。


《百年の秘密・8》

そんなケラさんが毎回苦悩している。その苦悩とは、先にあげた『風の谷のナウシカ』で言えば《マンガ版》では描かれていて《劇場版》では決して描かれることのない、泥泥の世界


《百年の秘密・9》

『百年の秘密』というタイトルを聞いて、まずガルシア=マルケス百年の孤独』を連想する。それだけではない。ブラックウッドという登場人物がいる。これは!


《百年の秘密・10》


コーヒーにミルクを入れるのがホワイトウッド、何も入れないのがブラックウッド、西を向くのがウエストウッド、そして東を向くのが、


そう、


クリント・イーストウッド



   


《百年の秘密・11》

それからそれから、観劇していて、


シェイクスピア(ロミオ&ジュリエット)も、


ゲーテ(親和力)も、


ユーゴーレ・ミゼラブル)も、


ドドストウエイストスキー,,,,,(罪と罰)イエ〜イ☆


も感じた。


《百年の秘密・12》

おそらくケラさんは、先行する作家に対して誰よりも強い意識を持っているし、またそういった作品を貪欲に摂取している。そして確かに今回の『百年の秘密』で綴られている「血縁」「運命」「罪悪」という超人間的な力に個が縛られるという世界観は西洋的である。


《百年の秘密・13》

このあたりを考察すると、ケラさんの苦悩は、「遅れてきた詩人が、先行する詩人にいだく不安」、要するにハロルド・ブルーム『影響の不安』の文脈に回収されてしまう。



   


《百年の秘密・14》

『影響の不安』というのは、かなり強力な縛りで、日本近代文学、例えば漱石の憂鬱だけでなく、ケラリーノ・サンドロヴィッチが完全に回収されてしまっても何ら不思議ではない。


《百年の秘密・15》

おそらくケラリーノ・サンドロヴィッチという作家が独りで闘っていたならば、そうなっていたと思う。100%そうなっていたと思う。でも実際は違う。ケラさんは独りではなく、ナイロン100℃という劇団で闘っている!


《百年の秘密・16,17》

ナイロン100℃の全作品に通底していることだが、『百年の秘密』の秘訣は、


犬山イヌコであり、


峯村リエであり、


萩原聖人であり、


山西惇であり、


大倉孝二であり、


近藤フクであり、


田島ゆみかであり、


廣川三憲であり、


松永玲子であり、


長田奈麻であり、


みのすけであり、


村岡希美であり、


藤田秀世であり、


水野小論であり、


猪俣三四郎であり、


小園茉奈であり、


安澤千草であり、


伊与勢我無であり、


木乃江祐希である。


《百年の秘密・18》

ケラリーノ・サンドロヴィッチとは一体何人なのか? というベタな問題設定をするまでもなく、ナイロン100℃は何人でもない。何人?という問いを逸脱している。


《百年の秘密・19》

『百年の秘密』をドストエフスキーっぽいとか、ゲーテっぽいとか、シェイクスピアっぽいということは可能だが、ドストエフスキーである、ゲーテである、シェイクスピアであるとは言えない。


《百年の秘密・20》

いま僕の頭のなかにあるのは《コラージュ》ということばだ。ふつう《コラージュ》と言えば、ブラックやピカソを連想するかもしれない。でも僕の頭に浮かんでいるのは建築批評家のコーリン・ロウの《コラージュ》だ。



   


《百年の秘密・21》

これは僕の偏見かもしれないが、ブラックやピカソの《コラージュ》は「ゼセッション」、過去との訣別としての近代化、真っ当なる近代化であり、僕がナイロン100℃から連想するものとはやや違う。


《百年の秘密・22》

対してコーリン・ロウの近代建築批評とは、豊饒なるイタリア建築の歴史がその基底にある。ここで、「えっ建築?」という質問は愚問である。この際、演劇か、建築かなどはどうでもいい話だ!



   


《百年の秘密・23》

コーリン・ロウの批評について、改めて論じてみたいが、とりあえずその鋭さだけでも伝えられると思うので、拙文(建築論)を一応紹介しておく。


建築家・西沢立衛《ガラス / 透明性 を巡る思考》



   


《百年の秘密・24》


拙文で引用したコーリン・ロウはピカソやブラックといった前衛部隊を率いて論じているが、その奥には豊饒なるイタリア建築という城がどっしりと構えている。

《百年の秘密・25》

このコーリン・ロウの豊饒かつ鋭い批評スタイルが、長年のタイトな公演スケジュールを乗り越えて来た、すでに歴史さえ感じさせるナイロン100℃という劇団を率いて劇作に挑み続けるケラリーノ・サンドロヴィッチの姿に重なるのだ!


《百年の秘密・26》

以上☆全26ツイート☆



《コラージュ・カフェ》@下高井戸からでした。(ただ単に散らかってるだけやん!)



   



ご清聴ありがとうございました!!





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