PANDAJOCKEY+ドリルチョコレート『奴らの影踏む千葉』









《演劇》PANDAJOCKEY+ドリルチョコレート




タイトル: 『奴らの影踏む千葉』



脚本・演出: 櫻井智也


■■出演


小野ゆたか(パラドックス定数)


川島潤哉


徳橋みのり(ろりえ)


川口雅子


後藤飛鳥五反田団


加藤美佐江


堀靖明


櫻井智也



■■スタッフ


舞台監督:印宮伸二 
美術:門馬雄太郎
音響:葵能人(ノアノオモチャバコ)
照明: 久保田つばさ
舞台写真:保坂萌
制作:田中のり子



■■日程・場所


2016年2月3日(水)〜2月7日(日)@シアター711 下北沢演劇祭参加作品






 《感想文:チーバくんがモチーフじゃないよね?》











千葉県のマスコットキャラクターであるチーバくんをモチーフにした作品ではなく、克美茂という実在した歌手をモチーフにした作品らしい。



千葉とかんけーねぇーじゃん!



ま、それは置いといて、この克美茂という人を僕はほとんど知らなかったのだけど、なんだかすごい人物だったらしい。克美茂役(劇中では千葉という名前)を演じた俳優の小野ゆたかさんがブログで人物紹介をしているのでそのまま引用する。


波乱万丈の生涯を生きた昭和の歌手「克美茂




家族がありながら愛人を囲い、散々貢がせた挙げ句に殺害、釈放後に復帰するが、数年後に覚醒剤で再び逮捕。数々の病魔に襲われながらもカムバックを図っていたが2013年に死去。ただ、周囲の評価は決して悪いものばかりではなく、折り目正しいきちんとした人だったとか。


紅白歌合戦にも出たことのある歌手でありながら、愛人に散々貢がせて、挙げ句の果てに、カムバックの足手まといになるから愛人を殺害って、おいおい、



人として最低だな!下の下の下だよ!!!!!



ま、このような人物は「最低!」と切り捨てるのが筋だけど、いざ取り上げるとなるとどうするか? もちろん正常な一般人とは切り離して、「一体どういう精神構造をしているんだ?」というように異常者と位置づけて、その内面を掘り下げる。前々回のMCR作品が、そんな感じだった。


死んだらさすがにいとしく思え


『死んだらさすがにいとしく思え』では、ヘンリー・リー・ルーカスというアメリカの連続殺人犯をモチーフにしていた。ま、結局はこの凶悪性が一体なんだったのかは分からなかったのだけど、ヘンリー・リー・ルーカスが「異常」であるということはすごく伝わってきた。




ヘンリー・リー・ルーカス



写真を見てもゾクゾクする。



あっ、この写真を見て思い出したけど、クロムモリブデン青木秀樹さんが『こわくないこわくない』で取り上げたカスパー・ハウザーもゾクゾクする。


クロムモリブデン




『こわくないこわくない』


青木さんが描くクロムモリブデンは、MCRとはまた違う方向にぶっ飛んでいるから、感想文はトンデモな感じに仕上がっているけど、それは置いといて、ちょっと写真見てよ!




カスパー・ハウザー



こわいわー!




いやー、よのなか、変な人がたくさんいるなー、こわいなー




でもね、今回はちょっと違ったんだよね。克美茂が人を殺害したという点ではやっぱり怖いのだけど、櫻井智也さんが描いたのはそこじゃなかったんだよね。櫻井さんらしい、櫻井さんならではの作品には違いないのだけど、そうじゃなかったんだよなー





克美しげる




克美茂って憎めないよなー、もちろんレコードのジャケットだから、「これは表の顔で裏の顔がまた別にあるんだ」って、「芸能人のプライベートの姿を見かけた時って、ムスッとした顔つきしてるじゃん!」って言われればそうなのだけど、いやー、そうじゃないんだよなー



あ、これも演劇つながりでイキウメの前川知大さんに教えてもらった本だけど、『戦前の少年犯罪』って本があって、その名のとおり、戦前の少年犯罪の記事を集めた本なのだけど、例えば、こんな事件が載っている。


昭和四年二月一九日〔9歳(満7〜8歳)が6歳を猟銃で射殺〕




岡山県御津郡の自宅で、男子(9)が隣家の男の子(6)を射殺。母親が三時のおやつにモチを出してくれたが、焼き方が悪いとわがままを云って食べなかった。そこへ遊びに来た六歳が「おまえが食べねば、わしが食べてやろう」と食べ出したので怒って、「毒が入っているのだから死ぬぞ」「撃ち殺すぞ」などと脅したが、「撃ってもよい」と六歳が云い返したので、父親の猟銃で頭を狙い撃ちしたもの。






戦前の少年犯罪

戦前の少年犯罪



ま、最近の子どもはキレやすいからなーって、戦前の話なのだけど、これは凶悪というのとはまた違う。櫻井智也さんが描く千葉(克美茂)もこんな感じで、こんな感じというのは突発的な衝動で殺したというのではなくて、殺害したという事実はあるけれども、その事実がカッコで括られているというか、どうでもいいと言ったら語弊があるけれども、そこを掘り下げても何もでてこない。そこじゃない。



千葉(克美茂)ってどうしようもない人物で、妻子がいるのに愛人をつくって、自分はほとんど稼ぎがなくて、愛人に貢がせて、そのお金を妻子に渡している、全く以て人として最低なのだけど、それなのに、なぜか成り立ってしまっているというか、、、



愛人も愛人で、なんでこんなどうしようもない男を好きになってしまって貢いでしまうのか? 妻も妻で、なんでこんなどうしもようもない男と別れようとしないのか? 克美茂には人を惹きつける力があるからなのか? 「愛人ー千葉(克美茂)ー妻ー子供」の関係が長くは続かなかったとはいえ、ある期間、この状態でバランスを保っていたのだから。



千葉(克美茂)という人物を認めるわけにはいかないけれども、昭和、戦後の混乱期って、こういう状況ってしばしば起こっていたのだろうなと想像がつく。一般的には旦那が稼いで妻子を養うというのがあるべき家族の姿だけれども、会社がつぶれたり、あるいは歌手や芸能人のように収入が安定しない、計画性を持ち得ない職業の人たちは、状況に負けてしまって養うことを放棄して家族を解散したり、愛人に走ったりすることもしばしばあるのだろう。又吉直樹の小説にも、ここまで酷くないけど似たような感じの人物が出てきたなー



今現在、平成28年は?



世の中がだいぶん整備されてきて、このような状況に陥る可能性は少なくなったとはいえ、まだまだ頻繁に起こるよなー



例えば演劇の人たちは、スケジュールに計画性を持てないから定職につけず、アルバイトをしながら舞台に立っているであろうし、ベンチャー企業に勤める僕もいつ会社がつぶれるかわからないから、つぶれたら知らんけど、会社がある間は頑張ろうという刹那的なモチベーションで働いているのは否めない。



多かれ少なかれ、みんな人生綱渡りだよなー





あっ、ついつい長いこと、物思いにふけてしまった。





ま、これも演劇ならではの貴重な経験だよなー




日曜日の昼間にみる内容じゃなかったけど、日曜日の過ごし方としてはよかったんじゃなかろうか。



あ、あと俳優がよかったので感想!




俳優の感想!




【小野ゆたかと川島潤哉


今回、主人公の千葉(克美茂)役を小野ゆたかさんと川島潤哉さんのふたりがダブルキャストで演じていた。妻子といるときの千葉と愛人といるときの千葉を一人の人間でありながら別々の人間として描くというような狙いもあったのだろうけど、それほど明確な役割分担をさせてはいなかった。ただ小野さんは正面からガツガツいくようであり、川島さんは柔らかくかわすようであり、同じようなセリフでも表現の仕方が微妙に違っていた。多重人格というような分かりやすい人間像ではなくて、もっと微妙なところを捉えていたように思う。興味深い。

【徳橋みのりと川口雅子】


ふたりとも前回のドリルチョコレート『禊百景』にも出演していたけれども、今回の方が断然魅力的であった。前回はテンションが一様というか、身に迫るものはあったけど、迫るだけという感じだった。対して、今回は、妻子がいる男の愛人と、愛人がいる男の妻という、常軌を逸脱した状況下の女性のゾクゾクする感じがすごく出ていた。徳橋みのりさんと川口雅子さんが他の作品でどんな演技をするのか観てみたいと思った。

後藤飛鳥と加藤美佐江】


千葉の娘と息子を演じたふたり。このコンビもヤバかった。後藤飛鳥さんは少女役がハマリ役で今回もそうだったのだけど、今回は少女としての一面と、女性としての一面の両方が出ていた。かわいらしい瞬間とゾクっとする恐ろしい瞬間が同居していた。そして今回はむしろ後者に惹かれた。これは観ているこちらも悪いのだろうけど、『いやむしろわすれて草』以来、「後藤飛鳥=少女役」というイメージを持ち続けてしまっているのだけど、それが逆に後藤さんの演技の幅を狭めてしまっているのかもしれない。今回で言えば、徳橋みのりさんや川口雅子さんが演じた役を後藤飛鳥さんが演じてもよかったのかもしれない。そんな作品も観てみたいと思った。



加藤美佐江さんは、今回間違いなくNO.1 !!


物語のメインじゃないところでこれだけ持っていくとは! 演技って単にまじめに勉強したらいいって訳じゃなくて、いい意味での不真面目さが必要というか、ま、才能だよなー、今回は櫻井さんとの絡みがなかったので、いつかガチで絡んでほしい(笑)

【堀靖明と櫻井智也


安定のハイテンション!


堀靖明さんはあれほど激しくセリフを吐きまくったら、1回舞台に立つだけでどんだけカロリーを消費するのだろうか? けっこう頻繁に舞台に立っているからもっと痩せそうだけどなー、でもやせてしまうとあんな演技できないからなー、安定のデブ(汗)、気にせず深夜にラーメン食べてください(笑)


櫻井智也さんは貫禄ですな。安定の脱力系に今回はうさん臭さも加わってキレッキレだった。櫻井さんを観ると、こちらも肩の力が抜けてきて、日頃の緊張感から開放されて楽になる。


はい、感想文としては冗長でイマイチでしたが、とにかく帰りの電車でも、家に帰ってからも、物思いにふけったよ。



いろいろあるよなー



ま、とにかく、明るく、前向きに、がんばろう!





ビーバッパパラッポ〜パッパッパラッポ〜 一発屋上等!!









熱演ありがとうございました!!




『ON-MYAKU 2016』






   




《総合芸術》ON-MYAKU 2016- see/do/be tone -





白井剛(演出構成・振付・ダンス)



堀井哲史(映像演出)



中川賢一(音楽構成・ピアノ)


■■スタッフ


舞台監督:大久保歩(クワット)
照明:吉本有輝子(真昼)
音響:石丸耕一(東京芸術劇場
ハードウェア:原田克彦(Rhizomatiks Research)
衣装:るう(rocca works)
振付アシスタント:平井優子 鈴木美奈子
宣伝美術:藤井かおり(Rhizomatiks Design)
コーディネート:齋藤あきこ
記録写真:bozzo
記録映像:水内宏之


■■日程・会場


2016年1月30日(土)〜1月31日(日)@ 東京文化会館小ホール






  感想文:現代音楽に挑む!



現代音楽を分かっているか否かと問われれば、否と答えるけれども聴くのは嫌いではないし、苦痛でもない。むしろオーケストラによるクラシック音楽の演奏の方がしばしば苦痛に感じることがある。音が多過ぎて体調が悪い時には食傷気味となって拒絶してしまう。対して現代音楽は眼を閉じて頭を空っぽにしてぼーっと聴いていればよいので特に問題はない。


ただ本作品は少々戸惑った。音楽だけではなく、ダンスと映像が同時に繰り広げられるので目を閉じる訳にはいかない。五感をフルに働かせて受容せねばならないので序盤はなかなか慣れず少々疲れた。


現代音楽に関して言えば、やはり目を閉じて聴いていたいという気持ちが強い。視覚を機能させないという訳ではなく、耳から入った音のイメージを拡げてゆく営みを脳のなかで行うからだ。現代音楽は単調だけれども理論がしっかりしているからか、イメージの喚起力は強い。目を閉じていても脳のなかで映像が映し出されるし、体全体が反応する。


そういった鑑賞スタイルを崩されることに最初は抵抗があった。しかし、じぶんのイメージ力はたかだか知れている。音を聴いてイメージは湧くけれども、大した絵にはならないし、体だって想定内の反応しかしない。



『ON-MYAKU 2016』ではまず白井剛のダンスに惹かれた。私じしんの持ちうる身体イメージを凌駕する身体が目の前で繰り広げられるからだ。そうやって白井の身体を受け入れられるようになると、堀井哲史の映像も受け入れられるようになってくる。堀井の映像表現、動きを伴った幾何学模様は現代音楽との相性がよく、イメージがどんどん喚起されていった。



今回は様々な作曲家の曲が演奏されたが、音と映像がもっともシンクロしたのが、やはりクセナキス





クセナキス音楽理論、建築理論と堀井哲史のプログラミング理論のシンタックスに共通性があるからだろうか? フラクタルというのか、両者の規則性を持ちつつ拡張してゆくイメージがものすごくピタッときた。



ただ、ここはもっと開拓する余地があると思う。クセナキスが活動していた頃は表現のツールがまだ発達していなかったからできなかったが、現在のツールを使えばできることが多々あると思う。そのあたりを堀井哲史にはもっともっと突っ込んで表現して欲しい。



あと惜しかったのがオリヴィエ・メシアン。ピアニストの中川賢一が語ってくれたように、メシアンは音楽に対する洞察が深い。鳥のさえずりから音をつくったり、音から色や模様が見える等、独自の音楽理論を形成している。





そのメシアンに対して、ピアニストの脳波をヴィジュアライズするという試みがなされた。このアプローチはメシアンの可能性をさらに拡張する画期的な試みだと思う。ただ残念だったのは、初めは「おおっ!」と思ったのだが、思ったほど驚くようなイメージが抽出されなかったこと。この点についても音楽理論に精通している中川とプログラム理論に精通している堀井とでさらなる探求を続けて欲しい。



最後に白井剛のダンスについて。ダンサーの身体は我々の想像をはるかに超えるので全てを受け入れてしまうのだが、今回の作品において、白井がどのようなアプローチを取ったのかが興味深い。


true / 本当のこと


以前、白井がダンサーとして参加した総合芸術作品『true / 本当のこと』においては、身体(ダンス)、音、映像が同時に立ち上げられたので、鑑賞していても、どこかに重点を置くということはしなかった。つまりダンスだけを観ていても、音だけを聴いていても、映像だけを観ていても不完全であるため、自然と全てを感じ取っていた。



しかし、今回は音楽が主となっている。主となるという言い方は語弊があるかもしれないが、音楽が音楽のみで完成している。つまり目を閉じてダンスを観なくても、映像を観なくても鑑賞が成立してしまう。そのような状況において白井の身体表現はどのように形成されたのか? 完成された音楽をインプットして、身体表現としてアウトプットしたのか? それともインプット→アウトプットといったプロセスとは異なる何かしらの身体表現の生成が為されていたのか? 音楽に関する解釈や分析はかなり深いところまでいっていたように思うが、身体の表出のあり方にもっと探求の余地があるように思えた。今後も引き続き、白井と中川とのコラボレーションを期待したい。



さてさて。本作品については、《音楽・ダンス・映像》という複数メディアによる表現、《総合芸術》を体感できただけで十分に満足であった。こういう滅多に味わえない試みは、芸術分野ではない者に対しても多大なる刺激を与えてくれる。スポーツ業界に身を置く私も、「なるほど!こんなことができるのか!」といくつかアイデアが浮かんだ。



また白井剛と堀井哲史は以前にも共同で作品を手掛けていた。その際、音については音響という位置づけで音楽表現ではなかった。しかし、本作品では現代音楽にアクセスした。これは本当に興味深い。なぜなら現代音楽は理論構築が高いレベルで為されているからだ。対して、堀井が手掛けている映像表現、プログラミング理論はまだまだこれからなので、理論レベルの高い現代音楽に挑戦するというのは面白い。また白井のダンスに関しては、理論に回収されない境地をいかに切り開いてゆくかという点に面白さがあるので、ダンスという観点からも現代音楽とのマッチアップは非常に興味深い。



刺激的な休日であった。



ありがとうございました。








阪根タイガース



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シンクロ少女『funny people』






   




《演劇》シンクロ少女





タイトル: 『funny people』



脚本・演出: 名嘉友美


■■出演


泉政宏


横手慎太郎


中田麦平


名嘉友美 (以上 シンクロ少女)


浅野千鶴 (味わい堂々)


小野寺ずる (ロ字ック)


しまおみほ


田中のり子


満間昂平 (犬と串)


用松亮



■■スタッフ


舞台監督:本郷剛史
舞台美術:坂本遼
音響:田中亮大
照明:南香織
宣伝美術:郡司龍彦
演出助手:阿部ゆきのぶ(ゲンパピ)
制作:会沢ナオト



■■日程・会場


2016年1月13日(水)〜1月17日(日)@ ザ・スズナリ






  感想文:いろいろあってさー


《シンクロ少女》初観劇!!



《シンクロ少女》と名乗ってるだけあって、恐ろしいほどのシンクロっぷり。









あまり言いたくないし、どうでもいいけど僕のプライベートとシンクロしてるし、「猟奇的なキスを私にして」って言ったとか言わなかったとか巷で噂になってるアレともシンクロしているし、挿入歌として選んだ曲がクイーンだけど先日亡くなったデヴィッド・ボウイとの共作だし。



「この作品を上演するなら今しかない! 」



いったいどこまで計算してつくったのだろう?



恐ろしいなー



でも、もっと恐ろしいのは《シンクロ少女》の世界観。



出てくる人びとをひっくるめて『funny people』と題してしまうという恐ろしさ、「いやいや笑えねーだろー」って思いつつ、観ているこちらももう笑うしかないというさらなる恐ろしさ 汗。。。





「いろいろあってさー」



「いろいろあるよねー」





好きになってはいけない人を好きになってしまったって話だったけど、そういう話でいて、そういう話じゃなかったのかもしれない。





人と人との不思議な関係の話。



人と場所との不思議な関係の話。




登場人物




《揺らいでいる人》マキオ、ヤギラ(ユウヤ)、ミドリ



《見習中の人》ミカ



《覚醒している人》メイコ、キヌコ



《謎の人》ソノヤ、モモ



この物語を登場人物を中心に捉えると、マキオとヤギラの友情/青春物語と言えるし、ミカの旅立ちの物語とも言えるし、メイコ&キヌコがお店のお客さんを救う人情物語とも言えるし、ミドリ先生の失楽園とも言える。



それから、場所と時間に着目すると、



「帰ってきてくれてうれしかったよ」



15年という時を超えた過去と現在のシンクロニシティとも言える。



あと場所について言えば、「近景・中景・遠景」という構図の舞台がよかったなー


舞台の構図



遠景:空と川


中景:部屋(プライベートスペース)


近景:店(パブリックスペース)

定点観測的でありながら、遠くまで見えた。





さてさて。




《シンクロ少女》のメンタリティーって何だろう?





《シンクロ少女》に出てくる人びとのどこか自由奔放な感じっていうのが、挿入歌のUKロックとかパンクとかのメンタリティーなのかなーって思いつつ、アメリカのビートニクって感じなのかなーって思いつつ、ケルアックの『ON THE ROAD』をイメージした。









でもアメリカのビートニクとか無頼派とかってどこか冷静さを失ったホットなところがあって社会に抗うという感じだけど、《シンクロ少女》はそういうメンタリティーではないよなー、至ってクールだよなー



確かにマキオ&ヤギラはクイーン&デヴィッド・ボウイとシンクロして熱唱してダンスまで披露したからロックのメンタリティーを有しているのかもしれないけどさー









でもマキオ&ヤギラのメンタリティーって、はっきり言って、中2だよなー



あともうひとり、ホットなのがいたけれども、ソノヤは、実はすげぇクールだったりするからなー





《シンクロ少女》の描く世界ってなんだろう?





気になったのはメイコ&キヌコ。このふたりは覚醒している(フォースを発している)。ミカとモモも力を秘めてる。ラストシーンで見る限りモモはすでに覚醒しているっぽいし、ミカも覚醒しそうな予感がする。男で言えば、やっぱりソノヤかなー、でもこいつはフォースっていうかジョジョだよな、スタンド使いだよなー笑、あと軽視しているマキオとヤギラも実は秘めた力があるかもしれないなー、けっきょく助かったしなー、変なダンス踊ってたしなー



ミドリ先生はなー、田中のり子さんがはまり役だっただけに惜しいなー、もう一回みたいなー



もうホント、こうなってくるとスターウォーズともシンクロしてくるし、場末の小さな街の話ではなくて、宇宙スケールの壮大な物語になってくるなー




目覚めよ!!!







《シンクロ少女》の次回作も観てみたい!!










阪根タイガース



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岡崎藝術座『ISLA! ISLA! ISLA!』




   


《演劇》岡崎藝術座





タイトル: 『ISLA! ISLA! ISLA!』



作・演出: 神里雄大


■■出演


稲継美保


嶋崎朋子


武谷公雄


松村翔子


和田華子



■■スタッフ

美術:稲田美智子
衣装:藤谷香子(FAIFAI)
舞台監督:寅川英司+鴉屋
照明:筆谷亮也
音響:和田匡史
技術監督:寅川英司
技術助手:河野千鶴
舞台監督:横川奈保子
宣伝美術:古屋貴広(Werkbund)



■■日程・会場

2015年12月3日(木)4日(金)@早川倉庫(熊本)
    12月17日(木)〜20日(日)@京都芸術センター(京都)
2016年1月9日(土)〜 17日(日)@早稲田小劇場どらま館(東京)
    2月3日(水)〜 8日(月)@STスポット(横浜)



■■チケット


こちら





  感想文:和田華子さんの声が妙な感じで通っていた。


これまでに観たけれども書いていない劇作家(劇団)が何人かいる。最近で言えば桑原裕子さん(KAKUTA)。昨年末にKAKUTAの『痕跡(あとあと)』を観てまだ書いていないのだけど、これはもうちょっと調べたいことがあるからという理由でまだ書いていない。『痕跡』は「悲劇」ということをすごく考えさせられる作品で、角田光代さんの『八日目の蝉』とソポクレス『オイディプス王』をもう一回読んでから書こうと思っている。『痕跡(あとあと)』と『八日目の蝉』とはシチュエーションは似ているのだけど、主眼が全然違う。『八日目の蝉』は原作も映画も物凄くいい作品で僕も好きなのだけど、この作品はある事件があって、その当事者(内)と報道される人間像(外)といった内外のズレをつぶさに描ききっている。対して『痕跡』はある事件が起こって、それによってボタンを掛け違えることになった人間関係の後々を群像劇として描いている。さらに『痕跡』はある事件をきっかけにした物語ということで『オイディプス王』と比較したいのだけど、『オイディプス王』は「後々」というよりも運命の「逆転」が主眼になっている。だから『オイディプス王』だけではなく、「悲劇」という広い範囲で『痕跡』を捉えたいということで、ソポクレスの他の悲劇も読んでみようと思っている。そういう訳でまだ書けていない。



それから前田司郎さん(五反田団)。五反田団はよく観ているほうだと思う。でもまともな文章をまだ一度も書いていない。書いていないというか、正直に言えば、書けない。なんで書けないかと言えば、前田さんの場合、ガチンコで行ったら負けるから。だからガチンコでない書き方というか、スタイルを身につけたいと思っているのだけど、その力の塩梅がまだうまくつかめない。



それから、それから、もう一人書けない劇作家が、神里雄大君(岡崎藝術座)。神里君の場合も当初は前田さんと同じく、ガチンコで行ったら負けるという感じだった。『リズム三兄妹』とか『ヘアカットさん』とか『古いクーラー』とか。ただ前田さんと違って、神里君の場合は、その後、純粋に分からなくなってきて、書けなくなった。『(飲めない人のための)ブラックコーヒー』くらいになると完全にポカーンとしてしまった。



?????????????????



きょうの『ISLA! ISLA! ISLA!』もそうだけど、神里作品はいわゆる戯曲の形式に則ってないというか、戯曲ってふつう会話が軸になるけど、神里作品は会話ではなく独白がどんどん深化していっている。『ISLA! ISLA! ISLA!』が文芸誌の『新潮』(2016年2月号)に掲載されたというから観劇後に読んでみたけれども、戯曲どころか小説の形式にも則っていない。何なんだろう、この形式は? 神里作品を何度も観劇しているからそれなりの覚悟をもって挑むのだけど、いつもじぶんのなかで調整がつかないまま終わってしまう。



でも、なんて言うか、神里作品は、すごく違和感があるのだけど、意味をとることを拒絶している訳ではなく、ちゃんと意味は取れる。特に今回の『ISLA! ISLA! ISLA!』の独白は、ある意味、非常に理路整然としている。例えば、こんな感じ。



ここの天然のサトウキビは素晴らしい、成長も早く、糖分も豊富だから、これを島のみんなで収穫しよう、と言う。それでどうする気なのだ、と聞けば、みんなの収穫を持ち寄って、近隣の国と貿易をしたらどうか、と言う。


たわごとはよせ! わたしたちの油のことか! 燻製はわけてやってもいいが、あれはわたしに所属するものであり、外貨獲得のための重要な資源であり、同時に、今後はさらに新住民が増え、周辺諸国との重要な外交手段として機能するであろうから、政治的に非常にデリケートで、そのような話を気まぐれにやってきたおまえたちにするつもりはない。こちらとしては、必要に応じて、必要な分だけ、油を売ってやることはできる。考えてもいい。けれどそれは、慈悲の心から出るもので、交渉はしないほうがいい。わたしはおまえたちをどうにでもできるのだから。

『ISLA! ISLA! ISLA!』は小笠原諸島がモチーフになっている作品で、独白の内容からもそれは理解できる。また小笠原諸島が特異な場所だということも分かる。僕も小笠原諸島には行ったことがないけれども、伊豆大島には行ったことがあって、あそこも車が品川ナンバーだった、東京都なのだ。でも東京と聞いてイメージする東京ではない。飛行機も一応あるけど基本的に船でしかいけない。船でしかいけない所なので雰囲気が全然違う。下手な外国よりも外国っぽい。伊豆大島は高速船だったら2時間くらいだからまだ近いけど、これが小笠原諸島となると船でまる1日くらいかかるから、文字通り海外って感じなのだろう。領土的には日本だけど、日本なのかって話。



地図で「小笠原諸島はここ」とは言える。地球に関して言えば全ての土地が発見されているから地図をみれば、どこかは分かる。またどこの国の領土かも分かる。小笠原諸島は日本の領土である。しかし領土というのもよくよく考えればおかしな話。領土って昔から決まっていたのか?って。國分功一郎さんの『近代政治哲学』という本にこんなことが書かれている。



(封建国家には)実に奇妙な  近代的な常識からは奇妙に思える  事態が見いだせることになろう。封臣が複数の封主と契約を結んだり、あるいは遠方の封主と契約を結んだりしている場合には、その封臣の支配地域がいったいどの国に属しているのかが不明確である。つまり、封建国家についてはその領土を語ることができない。封建国家には領土の概念がない。封建国家にあるのは、契約による人的結合だけである。確かに国王はいるのだが、その支配地域の封臣は、隣国の、あるいは海を越えた国の封主と契約を結ぶこともあり得たのだから。


するとさらに、興味深いことが分かる。領土が存在せず、契約関係だけが複雑に絡み合っているのだとすれば、どこまでが国内でどこからが国外かを確定することもできない。つまり、封建国家においては、国内社会と国際社会という区別が成り立たない。近代国家は何よりもまず、領土によって定義される。だから、その常識に慣れ親しんでいる我々にとっては、これはなかなか想像ができない世界であろう。しかし、そうした領土の概念で国家を見る見方の方が新しく、また歴史も浅いのである。


國分功一郎『近代政治哲学』ちくま新書 pp.21-22. ※( )内は拙者が補足した。

小笠原諸島が日本の領土というのは、単に領土っていうだけで「小笠原諸島=日本」と話を単純にしてしまってはいけない。これはまさに「近代」という合理化による弊害だ。こういう盲点を考えることは実は重要で、例えば今では当たり前になったスマホやコンビニがない頃の生活を想像したり、自家用車がまだほとんど走っていなかった東京の街を想像したり、海外諸国とほとんど接する機会のなかった江戸の人びとを想像したり。こういった現在とのギャップを考えればけっこう面白いのだけど、大河ドラマなんかはこの問題を確信犯的にスルーしている。いまイケてるタレントがそのまんま歴史上の人物を演じてしまっている。それはそれでいいのだけど、そうなるとやっぱり単なるエンターテイメントでしかない。



対して『ISLA! ISLA! ISLA!』は、このように我々が勝手になんとなく理解した気持ちになってしまっていることを蒸し返してくる。だから本当にびっくりする。びっくりしている自分にびっくりする。何にびっくりしているのか分かっていないというか、本当に何を観ているのかが分からないから。



小笠原諸島は行ったことがないから、なかなかイメージできなかったけど、ミクロネシアポリネシアメラネシア? 、観劇中、諸星大二郎の『マッドメン』でイメージを補っていた。




諸星大二郎 原画展より『マッドメン』



民俗学的というか、民族学的というか、こういった世界の見方というのは近代的な視点で捉えた世界とはまったく異なる。水木しげるさんや諸星大二郎さん、あと黒田硫黄とかも独特な世界を描く。演劇を観ることもマンガを読むことも重要だ。ホントに。



さらに、まだまだイメージが補いきれなかったから、観劇した帰りに本屋さんで写真集を2冊買った。石川直樹さんの『CORONA』と東松照明さんの『太陽の鉛筆』




石川直樹『CORONA』より




東松照明『太陽の鉛筆』より



写真でイメージを補うというか、写真自体もなにかしらきっかけがないとじっと観ることがないので、家に帰ってずっと観ていた。



それにつけても、『ISLA! ISLA! ISLA!』はいったいなんだったのか?



もう一つ思い出したのは、最近マルセル・モースを読んでいて、『社会学と人類学』の序文をレヴィ=ストロースが書いてるのだけど、この文章のなかで、レヴィ=ストロースは、マルセル・モースの研究手法の先駆性を認めて讃えつつ、同時に批判もしている。



主観主義と客観主義の区別を否定する試みに乗り出した民族誌学者をつねに待ち受けている悲劇的な危険は、誤解の餌食になるということである。すなわち、誤解とは、かれがようやく手中にした主観的把握が、主観そのものを別として、原住民の把握とはなんらの共通性を示さないものとなることである。かりに、主観が比較や伝達の不可能なものであるとして、自分と他人とのあいだの相違が主観的なものと客観的なものとの出会いの場でもある領域  つまり、無意識のことを言おうとしているのだが  において克服されないのだとすれば、この危険を避けることは不可能であろう。事実、一方では無意識的行動の法則はつねに主観的把握の埒外にある(われわれは対象としてのみそれを覚知することができる)にもかかわらず、他方では、この法則こそが主観的把握のあり方にとって決定的である。


それゆえ、社会学と心理学の緊密な共同研究を確信していたモースが、社会事実の一般的かつ特殊的な性格を規定する無意識というものへの注意をたえず喚起したことはしごく当然のことである。すなわち、《宗教や言語におけると同様に、呪術においても、まさしく無意識の観念が作用している》のである。そして、呪術にかんする覚え書き  右の語句はそこから引用されたのであるが  のなかで、たしかにまだ曖昧としたものではあるが、つぎのような努力が払われているのを目のあたりにみる。それは、《ヨーロッパ人の成人としてのわれわれの判断力》とは異なる《非主知主義的な心理》でもって《われわれの言語や理性のもつ厳格で抽象的なカテゴリー》に頼ろうとするのとは別個に民族学上の諸問題を定式化しようとする努力である。この努力のなかに、レヴィ=ブリュールのいう前論理性  これはモースが受けいれるはずのないものであるが  と一致する点が認められるというのはまったくの誤りであろう。むしろその真意は、モースが精神のいわば《第四の次元》、すなわち、《無意識のカテゴリー》と《集合的思惟のカテゴリー》に属する諸観念が混在している平面に達しようとして、マナ〈mana〉の観念にかんしてみずから試みたことのなかにおいて探らなければならない。


(中略)


無意識というものは、自分と他人とのあいだの媒介項であるといえよう。これらの諸前提をさらにつきつめていけば、われわれはまったく未知の場所とはおもえない平面に接続する。というのは、この平面にはわれわれの自己のもっとも内奥にあるものが秘められているからであるが、しかしまた、(より一層常態的にみて)この平面では、われわれは自分自身を失うことなしに、あらゆる時代のあらゆる人間のあらゆる精神生活の条件である  自分のものであると同時に他人のものでもある  行動形式に順応するからである。かようにして、無意識の形式における精神活動の把握(これは客観主義的でしかありえない)もまた、やはり主観化へと導かれる。というのは、結局のところ、これと同じタイプの作用によってこそ、われわれは精神分析においてわれわれの自己のなかのもっとも未知の部分をわれわれ自身からひきだすことができ、民族学上の調査において、われわれともっとも異質な他者にたいしてあたかも別の自己にたいするがごとくに接近することができるのであるからである。主観的自己と客観化する自己あるいは客観的自己と主観化された他者とのあいだのコミュニケーションというまさしく同じ問題がいずれの場合にも提起されている。そして、やはりいずれの場合でも、成功の条件は人間精神の内なる構造のなかや個人または集団の特定的かつ不可逆的な歴史のなかで決定的にその軌跡があらわれる無意識の過程での交流をもっとも厳密な意味での積極性をもって探求することである。


マルセル・モース『社会学と人類学 1 』弘文堂 PP.22-24.

つまり、レヴィ=ストロースは、モースが「無意識」を要請したことは評価しているが、マナ〈mana〉にせよハウ〈hau〉にせよ、無意識の実体化へと向かったことを批判している。無意識を捉える生命線は、その自律性であって、マナ〈mana〉やハウ〈hau〉をモースのように超越的なポジションに置いてしまうとシステムの自律性が失われて、作動しなくなる。あくまでもマナ〈mana〉やハウ〈hau〉をシステムの内部から要請されるものとして捉えねばならない。学問の難しさというのは、こういうところにある。



対して『ISLA! ISLA! ISLA!』では、もしかしたら、モースが抽出するのに失敗した「無意識」を抽出できているのかもしれない。以前、僕は「俳優=イタコ」という考えをとある写真家から言われたことがあるのだけど、『ISLA! ISLA! ISLA!』における俳優はまさにイタコという態をとっていた。まず和田華子さんとそばにいる4名の俳優のポジショニングが気になった。和田さんが中心的であるようでいて、ただならんでいるだけという感じでもあった。そして和田さんの声に「うっ!」となった。妙なところから出ていたというか、妙な感じで通っていたというか、貫通してきたというか、力を感じたと言う訳ではなくて、なんだろ、あれ? 和田さんのほかの3名の女優、稲継美保さん、嶋崎朋子さん、松村翔子さんも声がどこから響いてくるのかわからないという感じでもあった。声の質にも「んっ?」と感じさせるものがあった。ちなみに力を感じたというか、力がどこからともなく湧いてくるようであったのは男性の武谷公雄さんだった。それから男性1名、女性4名という編成も気になった。その有様は、儀式的ではあったのだけど、儀式として捉えるというよりも日常の営みとしてみた方がよいのか、島との対話、交信とみた方がよいのか。島は人の外部ではない。島というのは一つという感じがするから、人間と同じく一人としてカウントしてもよいのだろう。






  《神里雄大作品》感想文



 観た人の岡崎藝術座



2人目:阪根正行(元書店員/アラザル同人)全三回


第1回


第2回


第3回

神里雄大論ノート


岡崎藝術座『BLACK COFFEE


岡崎藝術座『古いクーラー


岡崎藝術座『まちなどない


鰰『動け人間!


岡崎藝術座『リズム三兄妹


岡崎藝術座『ヘアカットさん


神里雄大 演出昏睡


神里雄大作・演出『グァラニー








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夏葉亭一門会『ミラクルの会』










《落語》




タイトル: ミラクルの会



企画・製作: 夏葉亭一門


■■演目・出演


一月八日(金)十八時半


転失気   夏葉亭片栗【known as 川村紗也】
親子酒   夏葉亭麦酒【known as 大石憲(monophonic orchestra)】
擬宝珠   夏葉亭白萩【known as 笹木皓太(あやめ十八番)】
厩火事   夏葉亭鳥兜【known as 板橋駿谷(ロロ)】



一月八日(金)二十一時


転失気   夏葉亭片栗 【known as 川村紗也】
寿限無   夏葉亭馬鈴薯【known as 片桐はづき】
天狗裁き  夏葉亭金保丸【known as 多田直人(演劇集団キャラメルボックス)】
代書屋   夏葉亭みかん【known as 村上誠基】



一月九日(土)十六時


擬宝珠   夏葉亭白萩 【known as 笹木皓太(あやめ十八番)】
初天神  夏葉亭ハスカップ【known as 鬼頭真也夜ふかしの会)】
悋気の独楽 夏葉亭無花果【known as 山本真由美
猫の皿   夏葉亭大根 【known as 鍜治本大樹(演劇集団キャラメルボックス)】



一月九日(土)十八時半


寿限無   夏葉亭馬鈴薯【known as 片桐はづき】
ねずみ   夏葉亭大根 【known as 鍜治本大樹(演劇集団キャラメルボックス)】
天狗裁き  夏葉亭金保丸【known as 多田直人(演劇集団キャラメルボックス)】



■■日程・場所


二〇一六年一月八日(金)、一月九日(土)@新宿シアター・ミラク





 《感想文:走る!走る!走る!》




※ 一月八日(金)二十一時の会を観ました。

きのうも言ったけど、きょうは夏葉亭一門会・ミラクルの会という落語会を観に行こうと思ってたわけ。最初は会社サボって18:30の会に行こうと思っていたのだけど、さすがにマズいと思って21:00の会に変更したんだよ。最近は会社に泊まったりはもうしていないから21時なら余裕で間に合うと思っていたのだよ。しかし…




えらいこっちゃ!




あーあーあー、こういう日に限って都心のオフィスじゃなくて郊外の工場で会議があるなんてー!!! しかもこれがなかなか厄介な会議でなかなか収拾がつかない。




のびる!のびる!のびる!




あー、やっと終わったー! げぇっ! もうこんな時間!




走る!走る!走る!
走る!走る!走る!




ふぅー、なんとか電車には間に合ったー
ひとまず新宿までは行けそうだ!




さて、ところでシアターミラクルってどこだ???




スマホスマホスマホ
検索!検索!検索!



んっ!? 新宿駅から5分って西武新宿駅かよ! ダマされたー!!!
京王新宿駅からけっこう遠いやんけー!!!




走る!走る!走る!
走る!走る!走る!




西武新宿駅を通り過ぎて、




えっ?




どこ?どこ?どこ?
迷う!迷う!迷う!




おおっ! スタッフらしき人が立っている!!!




ここだ!!!




ふぅー 奇蹟的に間に合った。








はい、マクラはこれくらいにして、本編に行きましょう!



が、が、が、



このあと驚くべき光景を目の当たりにする!!!



トップバッター・夏葉亭片栗(川村紗也さん)がのっけから、




飛ばす!飛ばす!飛ばす!




場を温めようと




走る!走る!走る!
走る!走る!走る!




顔が




真っ
赤!赤!赤!
赤!赤!赤!




オレもけっこう走ったけど、こんなに真っ赤にならないよ笑
100mを全力疾走しても、こんなに真っ赤にならないよ笑




片栗さんどんだけぇ〜




僕とマクラがかぶったけど、片栗さんのほうが役者が一枚も二枚も上手だな笑



観ている僕らもすっかり暖まったよ。



それにつけても




片栗さん、大きなお口!!!




珍念を演じさせたら右に出る者はいねぇーな 笑




つづいて、夏葉亭馬鈴薯(片桐はづきさん)



馬鈴薯さんがこれまた上手い。



馬鈴薯さんの寿限無は圧巻!!!



じゅげむじゅげむ………………………….



片栗さん(晴れ)からの馬鈴薯さん(艶)



ぐっとくる!!!



女性の演じる落語を堪能できたから満足!!!



あとは野郎やから、もうええわ。



が、しかし、これがまた素晴らしい。



夏葉亭金保丸(多田直人さん)夏葉亭みかん(村上誠基さん)



これが上手い!!!



マクラの広がりといい、落語への入り方といい、落語の登場人物の切り替えといい、



女性の演者とはまた違った、男性にしか出せない味がある!



実力派俳優というのか、個性派俳優というのか




いや〜〜〜、いいな〜〜〜〜〜〜




そうそう、あのねー、この落語会、もともと演劇の役者が落語をするということに興味があって観に行ったんだよ。でもね、落語を楽しめたのはもちろんなのだけど、一番感じられたのは俳優自身の魅力!!!



誤解を恐れずに言えば、



演劇で演じている時よりも、落語を演じる時の方が、俳優の魅力が、



ぐっと
ぐぐっと
ぐぐぐっと



伝わってくる!!!




いやはや俳優だ!!!




落語 omolo!!!




年が明けてから、仕事のプレッシャーからか、しばらく表情が硬かったのだけど、演者の表情を観ていると僕の表情も自然と柔んだ。




2016年・初笑い!!!




ありがとうございました☆







1/9(土)チケット完売みたいですけど、当日券出るならば是非!!!




夏葉亭一門


現在落語論

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現代落語論 (三一新書 507)

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劇ラヂ『あさはかな魂よ、慈悲の雨となれ』





《演劇》劇ラヂ!ライブ2015




タイトル: 『あさはかな魂よ、慈悲の雨となれ』



作・演出: 櫻井智也


■■俳優


高橋和也 


袴田吉彦


川島潤哉


三津谷葉子



■■日程・場所


2015年11月1日(日)午後4:05〜5:55 公開生放送【NHKラジオ第1


2015年12月5日(土)午前9:05〜9:55 再放送【NHKラジオ第1





 《感想文:結婚って!?》




【演劇】劇ラヂ『あさはかな魂よ、慈悲の雨となれ』(1)

土曜日の朝、会社を休んでというか、休みなのだけど、カフェで、iphoneで、ラジオで、演劇を観るじゃなくて聴く!MCRの櫻井智也さんの作品『あさはかな魂よ、慈悲の雨となれ』





【演劇】劇ラヂ『あさはかな魂よ、慈悲の雨となれ』(2)

40分ほどのショートだったから、ストーリーというよりもエチュードに近い感じで立ち上がったケーススタディのよう。





【演劇】劇ラヂ『あさはかな魂よ、慈悲の雨となれ』(3)

あらすじ




平凡で地味な34歳「安田」の元にかつての友人である「田所」と「武藤」から連絡があり、久しぶりに集まる事になった大学時代の仲良し三人組。それぞれが過ごしてきた十年間を懐かしむ暇もなく、田所は「別れた妻の為に協力してもらいたい事がある」と全員の首根っこを抑えつける勢いで話し始める。安田と同棲中の「ミユキ」も巻き込んで、それぞれの思惑が絡み合い、事態は思わぬ方向へと進んでいくのであった。




【演劇】劇ラヂ『あさはかな魂よ、慈悲の雨となれ』(4)

別れたといっても世間一般でいう離婚ではなく、死期を悟った妻がみすぼらしくなってゆくじぶんの姿を夫に見られたくないからと籍を抜いて面会を拒絶する。その妻に夫(田所)は最期まで愛情を、声を届けようとする。




【演劇】劇ラヂ『あさはかな魂よ、慈悲の雨となれ』(5)

ただ、この田所っていう男がちゃんちゃらおかしい奴で、動転しているのか、頭がおかしいのか、もうどうしていいものやら分からないものだから、滅茶苦茶なことばかり言う。そんな田所のただただ妻に声を伝えたいという気持ちだけがとにかく突っ走る。




【演劇】劇ラヂ『あさはかな魂よ、慈悲の雨となれ』(6)

この暴走する田所にかつての友人の安田と同棲中のミユキともう1人の友人で、田所の妻の兄である武藤がまき込まれてゆく。さあ、ここでどういった化学反応が起こるのか?




【演劇】劇ラヂ『あさはかな魂よ、慈悲の雨となれ』(7)

奔放な性格の田所は現実味のない案を出す。やったこともないバンドを結成してラジオに投稿して、ラジオで俺たちの曲を流してもらって妻の耳へ、妻の中へ入ろうという。




【演劇】劇ラヂ『あさはかな魂よ、慈悲の雨となれ』(8)

対して安定志向の安田はやや取り乱しながら、そのアイデアの現実味のなさ、実現性の低さ、わざわざそんなことをやる必要はない、もっと端的な方法があるはずだと説き伏せる。しかしなぜか同棲中のミユキは田所と波長が合ってしまって、バンド案にノリノリで加わろうとする笑。




【演劇】劇ラヂ『あさはかな魂よ、慈悲の雨となれ』(9)

そして、もう1人の武藤はというと、奔放な性格ではあるのだけど、田所とは対照的に何事にも欲望も気力も示さない世捨て人のような人。ざわつく田所とそれを必死に抑えようとする安田とは明らかに温度差がある。ただ人との関わりを完全に捨てたわけではなく心は動いている。



【演劇】劇ラヂ『あさはかな魂よ、慈悲の雨となれ』(10)

それで4人でああだこうだと延々と言い合うのだけど、最終的にどうなるかと言うと、もう亡くなる寸前の妻から電話がかかってくる。妻はすでにほとんど言葉を話せない状態で声というか、それはもう音でしかないのだけど、その音に対して必死に言葉で語りかける、会話が成り立たないのは分かっていながらも、とにかく必死に話しかける。




【演劇】劇ラヂ『あさはかな魂よ、慈悲の雨となれ』(11)

会話にはなっていないので、話の内容は全然通じていないのだけど、なんとか盛り上げよう、応援しようという気持ちは、愛情は、心は、おそらく妻には通じている。この通じ合うっていう感覚は、あうんの呼吸というのとも近い何かだと思うのだけど、ここぞという時に、ここぞという場面で、不思議と気持ちが通じあう(この妻がなんの取り柄もない田所を夫として選んだのが謎なのだけど、こういうことなんじゃないかと)。




【演劇】劇ラヂ『あさはかな魂よ、慈悲の雨となれ』(12)

そしてオチというか、この作品のテーマだと思うのだけど、亡くなる妻に声を届けようとする田所にまき込まれることで、結婚をためらっていた安田がミユキとの結婚を決意する。ありがちな話といえばそうだけど、ここは重要だと思う。田所夫妻のあいだにある、お互いを引きつけ合う力というか、何か魂のようなものが安田とミユキのカップルにポンッと投げ入れられたというか、いや、またなんだかオカルトっぽい話になってしまったけど、ま、そういうことだよね、結婚するって。




【演劇】劇ラヂ『あさはかな魂よ、慈悲の雨となれ』(13)

あと気になったのは、これは本筋の話ではなく、ちょっとしたエピソードとして語られただけだったけど、亡くなる妻を看病していた田所が看護士と浮気していたという。 これじゃ、純愛ドラマが台無しじゃん!っていうんじゃなくて、ここも、まー、分からんでもないなーって。




【演劇】劇ラヂ『あさはかな魂よ、慈悲の雨となれ』(14)

妻が死にそうで苦しんでいるのに浮気なんてあり得ないし、絶対にダメだけど、人の心って動いてしまう。看病って実際辛いしさ、看護士さんって、何で赤の他人にここまでできるの?ってくらい献身的だったり、逆に看護士さんから見れば、必死に看病する旦那さんが魅力的に見えてしまったり。




【演劇】劇ラヂ『あさはかな魂よ、慈悲の雨となれ』(15)

戒律と言ったら大げさだけど、ルールとして縛るとか、結婚したら浮気は許されないというか、自分に課したルールを守る、守らないという形式的な問題ではなく、重要なのは内容ではないかと。ルール上は禁止されていても、心って動いてしまうし、たとえ異性の相手にメールしないといった自分のルールを守っていたとしても、心が動いていたら事実上浮気だし、その動いてしまった心とどう向き合うかってことが大切なのではないかと。いや、別に石田純一礼讃とか、浮気したり、離婚してもいいよって、そういう意味じゃ決してないのだけど。




【演劇】劇ラヂ『あさはかな魂よ、慈悲の雨となれ』(16)

全然関係ないかもしれないけど、僕は中学・高校時代キリスト教系の学校に通っていたけど、けっこう厳しかった。特に校則(戒律)に違反した場合の罰則が厳しくて、退学にさせられた生徒もけっこういた。たしかに万引きとか許されることじゃないけど、今から思えば、自我がまだあやふやな時期で、誘惑にも流されやすい。彼らがやったことは犯罪ではなく悪ノリ程度の話だったのではないかと思う。もし、退学にして履歴に傷を残すことなく救っていたとしても、彼らは立派な社会人になったのではないかと、僕は思う。




【演劇】劇ラヂ『あさはかな魂よ、慈悲の雨となれ』(17)

この作品はそういったルールで縛ろうという価値観や理想をかかげてどうこうという意識が希薄だったように思う。このあたりは、櫻井智也さんの哲学なのかと。櫻井さんは性善説に基づいているというか、人を根本のところで信頼しているからだと思うのだけど、もっと自由に人間の生き様を描く。ピュアななかにも不純なものはあるし、ピュアな人も間違ったことをするし、でもだからといってピュアが否定される訳でもないというか、かといって開き直ればOKという訳でもないし、なかなか説明するのは難しいけれど。




【演劇】劇ラヂ『あさはかな魂よ、慈悲の雨となれ』(18)

理想と現実。人生において理想を描いたり、ヴィジョンを持つことは必要だと思う。ただ現実はその通りにはならないというか、人と人との関係、人の気持ちは日々刻々と変わっていくから、そういったいろんなことを柔軟にちゃんと受け入れて、そのつど方向を修正していかないと何も始まらないのだなと僕も思う。




【演劇】劇ラヂ『あさはかな魂よ、慈悲の雨となれ』(19・終わり)

僕自身は結婚したことないからピンとこないけど、結婚って何やろ? 夫婦って何やろ?って、あれこれ思って考えた土曜の朝でした。力作!熱演! ありがとうございました☆






   MCR過去公演 《感想文》



我が猥褻、罪なき罪


死んだらさすがに愛しく思え


言うなればゲシュタルト崩壊













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五反田団『pion』






   




《演劇》五反田団




タイトル: 『(記憶の化け物改め)pion』



作・演出: 前田司郎


■■出演


鮎川桃果


黒田大輔


前田司郎



■■スタッフ


舞台監督・制作:榎戸源胤


ホームページ作成:べーやん


その他ほとんど:桂田あゆみ  佐野彩奈  深見由真



■■日程・場所


2015年11月20〜25日@アトリエヘリコプター





 《感想文:恋は切ない》






【演劇】五反田団『pion』(1)

面白くて面白くて、でもちょっぴり切なくて、でも実はものすごく切ない傑作だった☆ 笑涙笑涙




【演劇】五反田団『pion』(2)

五反田団員が1人しか出演していなかったのが残念だけど、やっぱり五反田団は大好き。どれだけお金を積んで、どれだけゴージャスにやってもこの感じは出せない。小劇場でしか、五反田団でしか出せないこの感じがやっぱり好き☆





【演劇】五反田団『pion』(3)

冒頭の男が女に言いよるシーンは最高だった☆ さえない男と可愛らしい女の子。こりゃ絶対無理だろって会場全体が共有していて、女が付き合えないと何度も言っているのに、いやいや付き合えるでしょと何度も話を立て直そうとする男。もう、この言葉のやりとりが最高☆




【演劇】五反田団『pion』(4)

これってさー、前田司郎さんはもう完全に笑いにまで落とし込んでいるんだけど、典型的な恋のジレンマだよね。ダメだと分かっているけど努力すればきっと受け入れてくれる。この前向きな気持ちは健全なのだけど、恋愛はスポーツや勉強とは違うからなー




【演劇】五反田団『pion』(5)

このシーンはめちゃくちゃ笑えたのだけど、恋は盲目、あるところまではポジティブでいいけど、あるところを超えると病気になっちゃうもんねー、分かっていても止められない、いや〜、他人事じゃない、笑えない笑えない 汗。。。



【演劇】五反田団『pion』(6)

この冒頭のシーンから次のシーンへの展開はもう完全に五反田団ならではの前田司郎ワールド! あり得ない世界へシームレスに話が展開してゆく。あり得ないしどう考えてもおかしいのだけど、分からない訳じゃなくて、不思議と分かるんだよ。




【演劇】五反田団『pion』(7)

このあたりの話の展開の縦横無尽さ、他の劇団の作品を観続けて、それもいい作品をずっと観ていたのだけど、久しぶりに五反田団を観ると、前田司郎はどっちかと言えば、やっぱり天才だよなーってつくづく思う。




【演劇】五反田団『pion』(8)

この天才っていうのが褒め言葉かどうかは微妙で、他の劇団の作家よりも前田司郎さんが優れていると言いたい訳じゃなくて、上下の問題じゃなくて、良い悪いじゃなくて、天才というのはタイプの問題。


【演劇】五反田団『pion』(9)

この作品のストーリーはと言うと、ネタバレになるけど、冒頭のシーンで言いよられた女の子が動物園に行って、pionという新種の動物に一目惚れして、一緒に暮らして、そのうちにpionが人間化してきて、、、それから、それから、、、




【演劇】五反田団『pion』(10)

話としても、演劇としても、もう滅茶苦茶なのだけど、でも分かるっていうか、感じるっていうか、人間ってのはなーとか、動物の世界はよーとか、夫婦ってのはさーとか、いろいろ考えさせられて、けっこう感慨深く、切なくジ〜ンとくる。




【演劇】五反田団『pion』(11)

でも、まー、あの三角関係はねーな 笑




【演劇】五反田団『pion』(12・終)

さてさて、久しぶりの五反田団を堪能できました。五反田団は初めての? 鮎川桃果さんも初々しくてツンデレ具合が絶妙でした☆ たった90分で、現実のしがらみを忘れさせてくれて、それでまた現実の世界にいい形で戻してくれました。ハワイ行くよりよかったです!! ハワイ行ったことないけど。ありがとうございました☆









【演劇】五反田団『pion』(追記1)

今回は出演していない五反田団員の宮部純子さんがロービーで淹れてくれるコーヒーが予想以上に美味しかった。カップも乙だね☆



ちなみに宮部さん、結婚するらしい。相手はまだいないけど….






【演劇】五反田団『pion』(追記2)

宮部純子さんもそうだけど、望月志津子さんや後藤飛鳥さんや西田麻耶さんや中川幸子さん、あっ、あと大山はどうでもいいけど、五反田団員がたくさん出演する五反田団もまた観たいです☆





 五反田団過去公演》



五反田団『五反田の夜』


五反田団『生きてるものか』


五反田団『生きてるものはいないのか』


五反田団といわきから来た女子高生













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